前回、題名の諺に絡んでトラブルシューティングのあり方について考えた。ソフトウエアのバグなどに関しては、このような視点での品質管理がすでに行われており、表面的でない本質的な問題の抽出をシステマティックに行うところもあると聞いた。簡単なプロセスではないかもしれないが、それはそれで素晴らしいことだと思う。
ところで毎日仕事や仕事以外でも生活をしていると、私たちはいろんなトラブルに出くわす。電車が人身事故で遅れたとか、道を歩いていたら向こうからやってきた人の肩があたったとか、スーパーで買った特価品の値引きが引かれていなかったとか、まあ大小さまざまなことが起こっているに違いない。仕事をしていても、なんでこの人が担当しているんだろうと思うことだってある。
「あの人がいなくなればすべてはうまくいくのに。」
と思うことも正直あるのではないだろうか。どう転んでもその担当者の無能であったり方向性の誤認であったり、そういうことが原因でプロジェクトがうまく進まないとしか思えない。それは主観的というより客観的な事実にしか思えない。
しかしである。それって罪を憎んで人を憎まずの精神から言うと、ちょっとだめじゃないかと思うのである。どんなにそいつがおかしいと思っても、その人がそこで問題を起こしている背景に何かもっと大きな原因があると考える。それは機器の故障の背景に大きな問題が潜んでいるのと同じ構造である。
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