この諺を聞いたことがある方も多いと思う。文字通りの意味は、何か犯罪があった時に犯罪者を憎むのではなく、その罪を憎むべきという話である。中国の孔子の言葉にも同様の記述があるのだそうで、そこで示されている意味は人を憎むなということよりも、罪を犯した動機や背景に目を向けるべきであり罪そのものや罪人のみにとらわれてはいけない、ということらしい。なるほどなあと思う。犯罪に限らず、政治家や経営者などが非難されて辞任したりしたとき、その人のやり方がおかしいから失敗したという論調にすぐなるのだけれど、実際にはその個人の問題というよりも、その背景にある社会や会社の構造的な問題が原因で現在の困難な状況が起こったと考える方が正しい時もよくあるような気がする。感情に流されることなく、起こったことを冷静に見つめる観察眼が重要だと思う。
それって人に関する話だけではなくてエンジニアリングにおいても同じようなことが言えるのではないかと気が付いた。エンジニアリングをやっていると機器の不具合とか故障とかいうことが必ず起こる。それは部品の老朽化による破損であったり、想定外の事象によるソフトの誤動作であったりいろいろなケースが考えられるだろう。機器が動かなければお客様は困るわけだから、できるだけ早く対応策を見つけて対応をしなければならない。壊れた部品が見つかれば直ちにそれを取り換える。ソフトのバグが見つかったら直ちにそれを修正する。問題の原因を取り除いたのだから、それでめでたしということになる。
しかし、冒頭の罪を憎んで人を憎まず同様、直接的な問題の原因を取り除ければそれでいいのかというと必ずしもそうではない。壊れた部品を取り換えても、もしかするとまた同様のトラブルが起きないとは言えないのではないか。孔子も言っているように、その問題の背景に潜むもっと大きな問題をあぶりだすことがもっと重要なことではないか。ある部品が力を受けて折れたとしよう。その部品を新品に置き換えれば、とりあえずのクレーム処理は終わるかもしれないけど、なぜその部品にそんな大きな力がかかったかを考えることは、その故障に潜むもっと大きな問題に気付くチャンスなのかもしれないのである。
そんな事みんな分かっているというかもしれないけど、毎日忙しく仕事をこなしている現場のエンジニアにとって、冷静にトラブルの背景に目を凝らして考えることって、それほど簡単なことでもないように思う。
「背後に潜む故障の原因を憎んで故障を憎まず」(ちょっと字余り!)
我々の目指すユーザーエンジニアリングの目指す先って、こんな感じじゃないかなあと思うのだがどうだろう。
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