コロナ禍によって現場での人と人とのコミュニケーションが阻まれ、それまでに職場で築いてきた技能やノウハウがうまく伝承されないという話をよく聞く。なかなか言葉にしにくいような事柄も多いので、現場で手取り足取り教えていかなければ伝わらないことも多々あるに違いない。しかし、多くの技能者が退職の時期を迎え、そうしたノウハウが失われて行きつつあるのが現状ではないだろうか。
こういう話は会社の中でも時々聞く話で、いろんな方法でそうした「暗黙知」を伝えていくためのデータベースを作ったりするのだが、なかなかうまくいかないらしい。まあ、文字にしにくいような話を無理やり記録するところに無理があるのかもしれないのだが。
こういう先達の知識を引き継いでいくことは、多くの原資を投入して築いてきた企業の貴重な資産なのだから当たり前のことだと私も思っていたのだが、そういうことに対する考え方がどの国でも同じかというと必ずしもそうではないという記述を見つけてちょっと驚いた。
有名なフランス人の歴史人口学者エマニュエル・トッド氏は、世界中で起こっている様々な事柄をそれぞれの国における家族の在り方によって説明する。ウクライナの戦争などについても氏は家族論を使って独特の説を展開しているのだが、ここではその話には立ち入らない。彼によれば、日本やドイツなどは「直系家族」という分類に入るのだそうで、男子長子が結婚後も親と同居してすべてを相続、親子関係は権威主義的なのだという。最近は日本でもこの形はだいぶ崩れてきた気もするが、基本的な家庭の構造のイメージはまあこんな感じだろう。これに対してアメリカやイギリスは「絶対核家族」という形で、子供は成人後、親元を離れ、結婚後独立した世帯を持つ。相続は親の遺言で決まる。親子関係は自由で、兄弟の平等には無関心、ということになるらしい。これらの家族の型は、良いとか悪いということではなく長い歴史の中で築かれたその社会の仕組みであり、そしてそれが社会の動き方にも影響を与えるということがトッド氏の主張だ。
日本を含む「直系家族社会」は、世代の縦方向の絆を大事にするので知識や技術や資本の蓄積を容易にし、加速的に技術を進化させることを可能にしたという。何となくわかる気がするのではないだろうか。ただ、こういう社会ではキャッチアップは得意でも創造的な破壊は不得手になり、老人支配を招きやすい。なんか日本の構造って確かにこんな感じがする。これに対して「絶対核家族社会」では、縦の絆があまりないので移動性が高く、世代間の断絶が起こりやすくなる。つまり、「直系家族」では継承が得意なのに対して「核家族」社会では革新が起こりやすい。アメリカのシリコンバレーから様々なイノベーションが起こり続けていることも、こういうところに源流があるのかと思うとなんか腑に落ちる気もする。
技術の伝承とイノベーション、それは独立した事柄でやりようによって両立できるのかと思っていたのだが、トッド氏の説によれば、話はそれほど簡単ではないようだ。同じ会社に長く勤務し、そこで築いたノウハウを次の世代につなげていくという我々の考え方は、アメリカの様に転職が当たり前の社会ではそもそも成り立たないのかもしれないと気が付いた。
参考文献:エマニュエル・トッド、片山杜秀、佐藤優 『トッド人類学入門・西洋の没落』 2021、文春新書
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