最近本を読む人の数が減ったという話を聞く。すべての情報はスマホで入手できるからわざわざかさばる本を買うまでもないということだろうか。私自身も確かにちょっとしたことはみんなスマホで検索するようになった。持ってはいないけど、電子書籍なる薄い端末もあって、電車の中で読んでいる人を見かけるとなかなかスマートな感じがする。電子ペーパーというらしいが、紙に印刷した文字とほぼ同じように見えるように工夫されていて目がちかちかすることもないという。それほど値段も高くないので買ってみようと思わなくないのだけど、まだ踏み切れていない。
そういう電子メディアがどんどん押し寄せてくると、紙の本なんかそのうちなくなってしまうのではないかと思う。読んだ後もかさばる本は置いておく場所も大変だ。実際、私も相当気に入った本でない限り読んだ本はBOOKOFFおくりになっている。新しい本だとそれなりの値段で引き取ってくれるのであまり読了後の本を死蔵しておくことはしない。
ところで、最近ミシマ社という変わった出版社を起こした三島社長の本を読んだ。ミシマ社ができたときに経緯を綴った文庫本なのだが、まあドタバタ続きの会社立ち上げの様子が生々しく描かれている。(正直、こんなんでよくもまあ会社が立ち上がるもんだと思った。)硬直化した出版業界に風穴を開けるべく奮闘している姿も面白いのだが、その中で本の意味ということに触れている件があったので紹介しようと思う。 三島氏によれば、「テレビなどと違い、唯一モノとして存在しているメディアだ。そしてモノである以上、一過性の要素は薄れ、時を超えることに、よりその本質があるといえる。たとえば、本棚に10年以上眠っていたある本を、ふとした拍子に偶然手に取ると、そこに自分の人生変える言葉が待っていた。」なんてことがあるのが本だというのだ。
こんなことは考えたこともなかったけど、実際昔読んだ本を、時間が経ってから読んでみると最初に読んだ時の印象とはずいぶん違っていることも多い。読んだときには自分にその内容を受け入れるだけの力が備わってなかったのが、時間とともに自分自身が変化して改めて読んだときにはじめて作者の意図が読み取れることはよくあることのような気がする。自分の経験する時間の橋渡しをしてくれるのが本だというのである。そしてそういうタイムマシンみたいな役割をする本というのは、もちろん内容も重要だけど本の装丁とかそういうことも大事なんだろうと思う。一回読まれた後もBOOKOFFに行かずに家の中に残っておかなければならないのだから。
世の中の全ての物事はインターネットでつながり、あふれんばかりの情報が毎日消費されていく。でも、私たちはその情報の意味を多分ちゃんとわかってはいないのだろうと思うのだ。それは、最初に読んだ本の内容をちゃんと受け取ることができなかった昔の自分のように。そして、それは何かをきっかけにして、ふとしたことでストンと理解できるようになるのだろう。そういう偶然を楽しめたらいいなあと思うし、そういう読書を今後もしていきたいと思う。
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