前回のコラムで「結果オーライ」に成功の秘密が隠れていると指摘した。今までの経験から言ってもその確率は結構高いと思うのだが、実際に「結果オーライ」に注目すると何が起こるのかをもう少し考えてみた。例えば、研究開発の結果すごい成果を上げたとしよう。そしてそれを後から振り返ってみると、ほとんどすべてが偶然の成功に糸口を見つけている。「結果オーライ」を見事に拾い上げたということになる。それを後から読んだ人は、やっぱりそういうことに気をつけなきゃだめだなあと思うのだ。でも、ここに一つ落とし穴があることに気が付いた。それは、そのストーリーが成功することを知っているという状況のもとで我々は「結果オーライ」を眺めているということである。
何が言いたいかというと、後からお話を聞いた我々は、その「結果オーライ」事象が、実は極めてロジカルにゴールにつながっているということがすでにわかっているのである。論理的にちゃんとゴールに到達するという道筋がわかっていれば、「結果オーライ」は偶然の産物ではなくなる。だから「結果オーライ」の大切さを認めることができるのである。でも、残念ながら実際にはそうはなっていない。もともとの研究計画あるいはシナリオという枠組みから外れた非論理的なところで「結果オーライ」は生まれるのである。「結果オーライ」は論理的ではない偶然の産物なのだ。
非論理的な事柄に価値を見出すのはとても難しい。その価値を論理的な道筋で示すことができないのだから、少なくともそれを他者と共有することはできない。「これ当たりじゃないか?」という個人的なカンであったり、「これしかゴールに続く道はない!」という信念とか、そういう類のものであるからだ。そんな非論理的な「感情」を他の人と共有しようとしても、それは無理というものである。
でも、こういう風に考えてみると、成功する研究開発のステップというのも少し見えてくる気がする。例えば、
(1)他の人にも理解できるロードマップを論理的に書いて予算を確保する。 (2)道筋に従って粛々とプロジェクトを進めるも、こっそり狙っているのは時々現れる「結果オーライ。」 (3)その結果オーライを論理的な世界に引き戻すためのストーリーを考える。 (4)そのストーリーを証明するための実験を行い、他の人にも見える成果にする。
こんな感じじゃないかと思うのだがどうだろうか。(2)と(3)あたりのプロセスが最も大事なところであり、そうそうまねのできる話ではないかもしれない。それでも何も考えず闇雲に研究をやって成果を期待するよりはだいぶましではないかと思うのだが。
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