この二つの概念について前回も話題にした松村先生の本の中で議論している。どちらも「共」という字が入っているし、似たような言葉のような気がするのだが、松村先生は全然違うというか、対極にある概念だという。共感というのは自己と他者の差異を強調して輪郭を強化するようなつながりのことを指し、共鳴というのは自己と他者の境を超えて交わることで輪郭が溶け出すようなつながりを指す。
例えばSNSで「いいね!」をもらうと、誰でも自分が認められたようでうれしくなる。これは「わたし」の輪郭が強調されるような他者とのつながりであり、「共感のつながり」なのだという。そのことが必ずしも悪いことというわけではないのだけれど、「わたし」や「かれら」といった存在を文脈に関係なく固定的にとらえる傾向がネット社会になって強まっていると指摘する。カテゴリー化の暴力とも表現しているように、ネットでよく話題になる「炎上」という現象などは、まさにそのような極端なカテゴリー化によって起きているような気がする。「悪いやつ」という固定化された存在を、多くの他人が滅多打ちにする。非難に「いいね!」がつけば非難する側の連帯は高まり、両者の間の境界はさらに強化され、決して和解することはなく非難は益々エスカレートしていく。 そんな時にいかに柔らかな「わたし」でいるかが問われていると先生は指摘する。他者と交わる中で、お互いが変化するようなつながり方が必要であり、それを「共鳴のつながり」と呼んでいるのだ。それは「いいね!」とはだいぶ違って、自他の区別があいまいになり、「わたし」が他者との響き合いを通して別の「わたし」へと生まれ変わっていくようなイメージだという。
「共鳴のつながり」は、予想外の出来事や偶然の出会いで変化が生まれることを、自らの糧にするのだという。効率だけを求めてゴールに直線的に向かうのではなく、途中のプロセスにも意識を向けて、自分の生まれた世界とは違う世界に生きる人や違う価値観の人との出会いを自らの「喜び」に変える姿勢でもある。
松村圭一郎 『はみだしの人類学―ともに生きる方法』 2020,NHK出版
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