特許が認められるためには、そのアイデアに進歩性がないといけないことになっている。ただ、以前にもちょっと議論した通り、進歩性の定義というのはややあいまいで、時代によっても変化するものらしい。このあたりをどのように考えたら良いかを悩んでいたら、ちょっとおもしろい参考文献を見つけた。岡山大学の松村先生の「はみ出しの人類学」という本だ。
この本はもちろん特許や発明とは何の関係もない、人類学とは何かということを議論している一般向けの入門書だ。私は、人類学というのは太平洋の真ん中の小さな島に住む未開の原住民の生活をつぶさに観察して、その文化を調査するようなイメージを持っていた。しかし、観察する研究者と研究対象の村人に明確な線を引き、客観的に彼らの生活を観察する方法ではなかなかうまくいかないらしい。自分がいる世界から自分を切りはなし、可能な限り現地住民と接触することが大事なのだという。
松村先生によれば、見知らぬ他者と出会い、別の世界や生き方の可能性に触れることで、それまで「輪郭」だと信じていた「わたし」が揺さぶられる。その揺さぶりによって「わたし」の中の大きな欠落に気づく。その欠落を埋めようと、「わたし」がそれまでの輪郭をはみだしながら他者と交わり、変化していく。このような態度で観察を行うときに大事なことは、自分の殻を脱ぎ捨て、いろんな可能性に向けて「わたし」を開いておくのだというのである。
この人類学の研究に取り組む姿勢は、発明における進歩性と重なるところが大いにあるような気がしてならない。新たな技術を発明するということは、今までになかった新たな価値を作りだすことである。既存の技術に安住することなく、いろんな可能性に対して自らをオープンにしておくことが大切なのである。それまでの自分の境界を少しあいまいにして、新たなアイデアを理解し自分のものにする。新たな技術を手に入れることは、ちょっと大げさかもしれないけど人類学同様発明者自身が変容してくプロセスなのかもしれない。
今という時代、研究開発においてもあらかじめ決めたロードマップに従い、できるだけ無駄なくゴールに向けての道筋をはっきりさせることが求められる。限られたリソースを生かすためには致し方ないことなのかもしれない。しかし、そのような開発プロセスにおいて開発者の視線は、いろいろな可能性に向けて自分を開いておくというより、絶えず計画との差異の確認という内向きなものになりがちだ。すべてを想定内に収めるプロセスにおいて、進歩性のある発明が起こりえないことは自明なのかもしれない。計画通りに実験がうまく進まなかったことを失敗と考えるか、別の切り口でその失敗を見直してみることによって新たな価値を見出すかは、自分という存在の境界線をどう考えるかということにかかっている。
松村圭一郎 『はみだしの人類学―ともに生きる方法』 2020,NHK出版
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