ビジネスの世界ではどんどんデジタル化が進み、皆がラップトップパソコンやスマホをいつも持ち歩いて仕事をするようになった。すべての情報はコピーが可能で、それをやり取りすることによって仕事は進む。仕事の上では情報がコピーできることはありがたいことに違いはない。わざわざどこかに行かなくても、メールに文書を添付すればそれでことは足りる。請求書だってもう送らなくてもいいのだ。移動せずに用が済むということは地球にやさしいということも言えよう。
他方、以前は問題にならなかったことがコピー社会では大きな問題としてクローズアップされてきている。つまり、デジタルコンテンツがどんどんコピーされてしまうと、それを作った人の苦労も何も関係なく広がってしまうという問題だ。コピーによって少しでも劣化が起これば、どれが本物でどれが偽物かは原理的には判別が可能だが、デジタルの世界ではビットの集まりを忠実にコピーすれば、本物と寸分違わぬクローンがいとも簡単にできてしまうのだ。
そこで最近注目を集めているのがNFT(Non-Fungible Token)という技術らしい。ネット通貨などの技術とも関連しているらしいが、詳しいことは分からない。言ってみれば電子的な透かし技術みたいなもので、デジタル的に表現されたそのものが「本物」であることを証明する。NFTを埋め込むことによってデジタル情報の希少価値が担保され、ものによってはすごい値がつくという。例えばツイッター社の創業者の最初のツイートが3億円で取引されたなんてのもあるらしい。
確かに暗号技術などを駆使してコピーができない印を埋め込めば、そのデジタル情報には希少価値が生まれるという話は分からなくもない。ロジックとしては理解できるんだけど、何となくしっくりこないのは私だけだろうか。ツイッター社の創業者のつぶやきは、ただの数行のテキストに過ぎない。コピーすれば全く同じものはいくらでも簡単に作れる。コピー防止機能が付いたというだけで、それがオリジナルのつぶやきになってすごい値段がつくというのは、どうも納得がいかないのだがどうだろうか。私には、チューリップの球根に家一軒の値段が付いたというオランダのチューリップバブルの時と大して変わらないような気がするのだ。
では芸術作品の本物と偽物はどこが違うのか。ナチスドイツを欺いたフェルメールの贋作作家のように、専門家が見てもわからないような偽物を作ることは技術的には不可能ではない。その意味ではデジタルもアナログもそんなに変わらないのかもしれない。でも本物には、その絵を描いた作家の暮らしや、絵を描いた時の気持ち、絵が描かれて以降にその絵を所蔵した国や人々などの様々な物語を目撃しているに違いない。もちろん、それを見つけようと絵をいくら眺めてもその証拠を見つけることはできないにしても、本物の絵を見る人の心の中にはそうしたイメージが去来するに違いない。ゴッホの絵を見る人は、彼のアルルでの夢と絶望の生活をイメージしながらあの絵を見るのである。そしてそのことが本物を本物たらしめると思うのだ。
それに対して透かし付きのデジタルコンテンツはどうだろうか。残念だけど、それはいくらでもコピーができる情報にコピーできないような印をつけただけでしかない。その実態は、いくらでコピーのできるクローンの一つでしかないと少なくとも見る人は思ってしまう。見る人がそう思ってしまうことが問題なのだ。
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