とても残念なことだけど、最近ウクライナとロシアの戦争のニュースを聞かない日はない。遠く離れた日本にいてもモノの値段があがり、いろいろなことに影響が出始めている。避難して厳しい生活を強いられている一般市民を見ると、早く終結しないかなと思わずにはいられない。でもこういう問題は、ウクライナとロシアだけではない。今や世界中で衝突が起きている。どちらかが正しくて、どちらかが間違っている。お互いがその怒りをぶつけあっている構図だ。
どこかネットに書いてあったのだけれど、第二次世界大戦の時ドイツのヒットラーの狂気が、多くの人の命を奪った唯一の原因だったのか。もちろん彼の行動によるところはあったにしろ、それだけにすべての問題を帰結させることはできないだろう。当時の世界をめぐるさまざまな状況が絡み合って事態は進展したに違いない。今回の戦争においても指導者一人の独裁的な行動によって侵攻が行われたような言い方をする人もいるが、ことはそれほど単純ではないのだろうと思う。我々がニュースで見る世界は、ずいぶん単純化した一方向から見た眺めに過ぎない。
何となくイスラムの人々を見ると我々はテロをイメージしてしまう。何かと閉鎖的で自由のない彼らの生活を西欧のような自由なものに変えなければならないと思う。でもね、彼らには彼らの思いがあるのだろうと思うのだ。はっきり言って余計なお世話ではないだろうか。いわば我々と彼らは水と油なのだ。いくらかき混ぜても一緒に溶け合うことはない。だから無理してかき混ぜたりしないで、何とか折り合いをつけることを考えてもよいのではないか。もう少し彼らのことを知り、「そういう考えもあるんだねえ。」くらいの立場で付き合う。言論の自由だといって彼らの神様を貶めるようなことはしない。自分に火の粉が飛んできたときには、やめてねとは言うけど、自分の価値観を押し付けない。そんな姿勢が大切なんじゃないかと思うのだ。そしてそういう姿勢は、国際関係だけのことではない。正しいか正しくないかで他人を徹底的に非難する姿勢、ネットの炎上が良い例だけど、こういうことも同じことなんだろうと思う。人は人である。ほっとけばいいのだ。例えばタリバンっていうとみんな悪者のように我々は思うけど、その実態について書いてある同志社大学教授の内藤先生の参考文献は、そういう考えの良い入門書だと思う。
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