仕事のあちこちでAI(人工知能)が使われるようになって久しい。大量のデータを分析して、その中に埋もれている傾向をあぶり出したり、相手の話す内容を分析して自動的に適当な回答を したりと、以前では考えられなかったような場所で人工知能が使われて成果をあげている。とにかく世の中は労働者不足が叫ばれて久しく、人工知能は人手不足問題の切り札となっている。コンピュータの中には、ディープラーニングという技術が使われているらしいが詳しいことはよくわからない。
人工知能の話になると必ず論じられることに『人工知能は人間を超えるか?』という命題がある。NHK特集あたりの題名になりそうなネタだ。確かに以前は知的と言われていた業務が人工知能によって簡単に実現されているところを見ると、すでに人工知能は人間並みあるいは人間を超えていると思わずにはいられない時も確かにある。世の中の半導体不足が解消されて、十分な計算機パワーが得られれば、もはや人間は必要なくなったのだろうか。
他方、科学者が何か新しいことを発見するためには、科学という世界の水平線の向こうに何かがあることを認めなければならないということを以前議論した。自分の理解が全てだと思っている人に、その先にあるものを掴むことは決してできないという理屈だ。じゃあ、科学の先にあるものって何だろうという問いに対しては、運とか偶然とか縁とかそういう非論理的な事柄が大切だということも指摘した。そして、そういう事柄っていうのは、ロジックによって説明はできない非論理的な世界の産物であるので、理解するためには、感じる心や信じる心を持たないと、うまくこの世界とマッチングすることができないとも考えた。いくらご縁が大事といっても、それを論理的には説明できないので、ご縁は説明抜きに信じるしかないのである。少なくとも私はそう思っている。
ここまで考えてふと思ったことに、AIには何かを信じるということはないのではないかと気が付いた。あくまでも客観的なロジックに基づいてコンピュータは演繹を行う。いくら大量のデータを扱っていても、コンピュータは何かを信じたり感じたりすることはない。もしこの仮説が正しいなら、人工知能と人間の違いはこの辺にあるといっても良いのではないだろうか。何かを信じる心を持つことが、その人を人間たらしめる。ここで注意しなければいけないことは、ただ何かを信じるというだけでは本当に信じたことにはならないことだ。これは本当に信じるという行動を理解している人にしかわからないことであり、もちろん誰でもできることではない。この辺が難しい。
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