新型コロナが蔓延して久しい。最近ちょっと感染者が減ってきているが、依然として猛威を振るっている。医療施設はすでに受け入れの限界に近く危機的な状況が続いている。日夜対応している医療関係者の疲労も限界に近づいているのではないだろうか。本当にご苦労なことだと思う。 そうした中、例えば、
「ワクチン注射後の副反応でよくわからない事があったら、かかりつけのお医者様に相談しましょう。」
といった表現をよく見る。まあ、素人が勝手に判断することはできないので当然のことではある。でも、こういうのを見るたびに、これまで見たことも聞いたこともなかったコロナウイルスのワクチンの副反応について医師はどれだけのことを知っているのだろうと思わずにはいられない。もちろん、ワクチンに関する一般論としての知識はあるだろうから、その類推としてある程度の判断はできるかもしれないが、世界で初めて実用化されたmRNA型ワクチンがこれまでのワクチンにおける副反応と同じ傾向を示すかどうかの保証などどこにもない。そんな中でも不安な顔をしてやってきた患者に毅然と対応しなければいけない医師というのは大変な仕事だとつくづく思う。
誤解のないように言っておくが、ここで医師のやっていることがでたらめだと言っているのでは全くない。医師としてのこれまでの経験や知識を総動員して、目の前にいる患者を何とか救おうとしている態度は尊敬に値すると思う。ただ、たとえ医師の国家試験をパスし、長年の臨床治療を行った経験豊かな専門医であっても、その知識や経験は完璧なものではないということは認めざるを得ないだろう。
実は、こういうことは医師に限ったことではない。裁判官だって同じかもしれない。六法全書を全部記憶している裁判官はいるかもしれないが、だからと言って世の中のもめごとが全て法律や判例に基づいてきれいに判断できるわけではないだろう。世の中で起こるすべての事柄を法律はカバーしているわけではないのだ。新たな技術がこれまでの法の理念に想定されていなかったこともあるかもしれない。それでも裁判官は、訴えに対して白か黒かの判断を下さなければならないのだ。それは医師がよくわからない病気に対応するときの状況に似ているとは言えないだろうか。
こうしたこれまでの経験で片付かないような複雑な問題に対応するために、我々は権威という構造をしばしば利用していることに気が付く。つまり医師であっても裁判官であってもすごく難しい国家試験というハードルを越えた人に対して国という限定された範囲の中で絶対的な権限を与えるのである。その判断には極論すれば科学的な論拠は必要ない。権威によってもたらされた決定は真実であると無条件に認めるのである。このようなロジックを導入することによって、ちゃんと説明できない問題を排除できるという仕掛けが権威なのだと思う。
ただ実際にはそうした権威を持つ人たちも人間であるわけで、誤りを犯す可能性がある。そこでそういうミスを防ぐために医師であればセカンドオピニオンや裁判では多審制度があり、システムとしての安定性を持たせていると言うわけだ。こうした権威制度が、もともと透明かつロジカルに判断できないことの折り合いをつけるために導入された仕組みだとすると、必ずしも全てのプロセスを透明にすることが良いことではないのである。その決定プロセスは時に科学的、論理的ではないのだから、それを公開しては塩梅が悪い。
このような構造は、科学においても散見される。ニュートンの万有引力の法則やアインシュタインのエネルギーと質量の関係式などを、科学者は普通真理だと思って使っている。しかし実際には、こうした式は必ずしも論理的な演繹の結果得られた「科学的」枠組みの中にあるものではない。偉大な科学者の権威によって提示されたその式を我々は疑うことなく使っているに過ぎない。実際、これらの式も、ある条件(例えば光速に近い速度で運動する物体)の下で必ずしも成立しないことが示されている。神の作った自然というのは、アインシュタインがいくら考えても届かないような深淵にあるのだ。
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