太陽からの光と絞りの関係

 
  Vol.244
2021年2月1日
 
     
     

テレビでBSの番組を見ていた時のことである。神奈川や山梨の低山に登るのを趣味にしているので、登山関係の番組があるとつい見てしまう。最近登山はちょっとしたブームらしく、登山を話題にした番組も多い。その日はプロ登山家が小さなスキーのような道具をつけて新雪の山に登る様子を放送していた。まあ、素人の私には技術的にも体力的にも到底まねのできないレベルではあったが。5時間以上の時間をかけてついに頂上に着いた時、その日は幸運にも晴天で、素晴らしい景色が一望できたのだが、その時太陽から四方八方(正確には6方向)に光条が走っているのに気が付いた。なぜ丸い太陽からきっちり60度ずつの角度で光が広がっていくのか?もしかすると太陽の表面に特異な領域が幾何学的に存在し、そこから猛烈なジェットが出ているのではないか。ムムム、大発見?

でも、残念ながらそんなことは起こっていない。これは撮影しているカメラの絞り(光の量を調整するために撮像素子の手前に配置された穴の開いた板)の穴の形が六角形になっているからに過ぎない。最近のスマホのカメラはレンズがすごく小さいので絞りを確認できないかもしれないが、一眼レフのようなカメラのレンズを見ると必ず絞りがついている。
絞りを完全に円形にすることは困難なので、例えば6枚の板を少しずつずらして六角形の形の穴を作ると、先ほどのように強い光からは6本の光の筋が出ているように見えるのだ。

ビジネスでもサイエンスでも現場をしっかり見ることが大事だという。頭の中で考えたシナリオ通りに物事は進まないので、目の前の状況をつぶさに観察し、目の前の「事実」に基づいて行動することが大事だとどこの教科書にも書いてある。だとしたらカメラの受光素子に写った6本の光条は、まぎれもなく事実として客観的に観測された結果であり、その原因を太陽の活動に求めることは正しい行動のようにも思えるが、実際にはそれは客観的な事実というよりも、カメラの絞りという自らのあり様を投影した結果に過ぎなかったのだ。本来客観的に観察するということは、誰が観察しても同じ結果が得られるということが大前提としてある。人によって観察した結果が異なるとしたら、それは主観的な感想であって客観的なデータとはなりえない。しかし、前述の簡単な例で示した通り、観察の結果はどのような絞りを使うかによって影響されてしまう。このような意味においては完全に客観的な観察など存在しないといっても良いかもしれない。

実は、写真において絞りの形が見えるのは太陽のような極端に明るい対象だけではない。
例えば木の葉っぱから漏れてくる木漏れ日のような光でも、よく見ると本当は丸いはずの木漏れ日の一つ一つが六角形になっていたりする。翻って自分たちが客観的事実だと思ってみているこの社会は、皆概ね誰であっても同じように理解しているつもりでいる。でも、実際には写真に絞りの形が映り込むのと同じように、社会を見ている自分自身の投影された影を見ている部分が少なからずあるように思える。そして、それは太陽の光条のように極端な現象や、小さな木漏れ日のような些細で小さなところに出てきやすいのだと思うのだがどうだろうか。





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