課題を提示すること

 
  Vol.236
2020年6月26日
 
     
     

毎回社内報に知的財産に関するエッセイを書かせていただいている。なんか似たようなことばかり書いているような気もするが、継続は力なりと信じて続けている。その中で、発明をするときに一番大切なことは、課題の発見であると書いた。問題を明確に意識することが技術開発において極めて重要であり、それがきちんとできれば仕事の8割は終わったも同じとまで言い切ってしまった。つまり、問題のありかがはっきりすれば、それを解決するための道筋はおのずと見えてくるものなのだ。AIだのビッグデータだの答えを出すための仕掛けはいくらでもある。でも、どこに向かって進んでいるかが良くわからないままだと、そのうち空中分解するに決まっている。

こんなことを言うと、現場の問題なんていくらでも転がっている、と思うかもしれない。でも、目の前の課題が起こる原因がどこか他にあって、それが問題の本質である場合、解決すべきはその本質的な課題であるはずだ。そして、この質問はどこまでも続く。そして、もうこれ以上はいけませんね、というところで「本当の課題」が見えてくるに違いない。逆に言えば、その本当の課題が見つけられれば、その問題はほぼ解決したと言ってもいいのである。このプロセスは案外難しい。それは、医師が患者の症状を見ながら本当の病気の原因を探るプロセスと同じといえるかもしれない。

NHK-BSの特番でコロナの話をやっていた。その中で哲学者の國分巧一郎氏が、哲学者の仕事は「問いを立てる」ことだと言っていた。話題は、コロナ対策によって変容しつつある社会への疑問ということだったと思う。そこでのコロナに関する議論はさておき、技術者の仕事が課題を見つけることだとちょうど議論したところで、哲学者の仕事も「問いを立てること」というくだりに興味を持ったのだ。もちろん哲学者の興味の対象は社会全体の仕組みや国家などに向かっているのかもしれないが、やるべきことの本質は何も変わらないということなのだろう。

テクノロジーの進歩によってさまざまなツールが手軽に使えるようになった現代。スマホの性能は、アポロに搭載されているコンピュータをはるかに上回るのだという。ネットワークでいろいろなデータが瞬時にコストをかけずに手に入る。でも、どうやって問題を解決するかというツールはたくさんあるが、なぜそれを使うのかというところが甘い気がする。ツールに走る前に、なぜなぜと行けなくなるまで問いを投げかけて、その問題の本質に迫る根性と勇気を失わずにいたいものだと思う。





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