コロナと共に生きるということ

 
  Vol.233
2020年5月14日
 
     
     

コロナ騒ぎで自宅勤務となって数週間がたった。いろいろ不便はあるものの、スタッフ部門にいるのでそれなりに過ごすことができているが、現場での業務を抱えている人はいろいろ大変なのだと思う。誠に頭が下がる思いである。

さて、テレビを見ていたらノーベル賞受賞者である京都大学の山中先生が、これからはコロナと戦うのではなく共存を目指すべきであるというコメントをされていた。コロナと共存するというのはどういうことなのだろう。ちょうど同じころ、自分の中でもコロナ対策の在宅勤務に対する気持ちが少しずつ変化していることに気が付いた。はっきりとはわからないけれど、在宅勤務という非常事態ではあるけれど、それがだんだん日常に変化していくプロセスのような感じがするのである。私自身はコロナにまだ感染していないんだけれど、脳みその中にはコロナがある生活が意識下の部分にだんだん織り込まれてきているように思えるのだ。そんなタイミングで山中先生が共存というコメントをされたことは、あながち偶然ではない気がする。

 ふと、本当に感染して快癒し抗体ができた人は、その後の状況をどのように見ているんだろうと気になった。一度陰性になってもまた陽性になるケースもあるというから、すっかり平気というわけではないだろうけど、それにしても一度り患して回復した人が見る世界は、それまでとはずいぶん違ったものに映るのではないかと思う。抗体ができるということは生物学的にそのウイルスを体の中に取り込むと言っても良いのかもしれない。

それは生物の進化の過程で、例えばミトコンドリアが体内に取り込まれて、その生物の一部になっていったのとある意味同じことなのではないかと思えてきた。多分最初は生き死ににかかわるような反応が起きていたのだろうけど、だんだん侵入者と共存することができるようになり、最後にはその存在さえも忘れてしまい、自らの体の一部としてその存在に依存さえするようになった。今、我々は生物学的にも社会的にもそういうプロセスを歩んでいるのではないかと思うのだ。

野口宇宙飛行士が、宇宙ステーションという閉鎖空間で長期間生活するコツとしてルーチンを作って生活するということを言っていた。我々も、この生活を暫定的な非定常状態と考えるのでなく、ルーチン化して意識下に抑え込んでしまうことが必要なのだと思う。まあ、そうは言っても仕事がなくなってしまった人とかお客が来なくなった人にとっては、そんなものに慣れるわけないだろうと叱られそうではあるけれれどね。

さて今日もルーチンのYOUTUBER始めよっと。みなさん、ご安全に。





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