信じる心

 
  Vol.229
2020年1月7日
 
     
     

正月休みということで、いままでほとんど読んだことのなかった村上春樹の作品を何冊か読んだ。ノーベル賞の候補にもなっているということで、どんな作家かなと思ったのだが、正直ずいぶん変わった作品で驚いた。村上氏の作品の分析をできるほどの力は全くないのだが、その中で、村上氏が心理学者の河合隼雄に会いに行くというインタビューが目に留まった。日本の古典に関する議論の中で、

村上:あの『源氏物語』の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね。
河合:どういう超自然性ですか?
村上:つまり怨霊とか…。
河合:あんなのは全く現実だとぼくは思います。
村上:物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった?
河合:ええ。もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います。

河合先生の書きぶりから想像するに、怨霊とかそういうものを当時の人たちが信じていたということではなく、怨霊そのものの存在を全く信じているよう思える。さすがの村上氏もちょっとびっくりしているようなレスポンスだ。21世紀の科学の時代に何を言っているのかと思われるかもしれないが、少なくともかの有名な河合教授は怨霊の存在を信じていたのだ。

お正月には皆初詣に行く。その時にお神籤を引くこともあるだろう。その時に大吉とか大凶とかいろいろ出る。それをどうとらえるか。もちろん、偶然引いた紙切れに書いてあることと、これから自分に起こる事象の間に論理的なつながりは全くない。大吉が出ればラッキーだし、そうでもないのが出たら「こんなの迷信だよ。」といって捨ててしまうこともできるだろう。でも、その紙に書いてあることが本当に神のお告げだと信じることができれば、その紙に書いてあることの重みも全然違ってくる。

今までいろんなプロジェクトに取り組んできた。後になって思うに、上手く行ったプロジェクトをやっている時に、私の心の中には失敗したらどうしようという思いは全然なかったように思える。とにかくゴールに向かって進むことしか頭の中になかった。言ってみればプロジェクトの成功を信じていたと言えるかもしれない。そういう迷いを消しきれなかった時には今一つの結果になった気がするのだ。表面的には殆どわからないが、その差は圧倒的な違いを生む。

科学的に考えると、何かが成功するか失敗するかに関して、その成功を信じるかどうかは関係ない。上手く行くかどうかということは、どのように事を運ぶかであって信じるかどうかではないはずだ。でも、信じる心を持つことが実はとても重要なことであるとだんだん思えるようになってきた。

何かを信じるという状態に至るプロセスをうまく説明することはできない。だから「もちろん私はそれを信じています。」と言われても簡単に信じてはいけない。それは因果律を超えた働きであり論理的な理解ではないのだから。引用した河合先生の言葉のようなところにちょろっとそういう信念は顔を出す。信じる心を持つこと、そういうことに今年は注意したいと思う。

 

村上春樹 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 1999年、新潮社





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