自転車の乗り心地と
旅行の意味

 
  Vol.216
2019年1月28日
 
     
     

趣味で山登りをやっているのだが膝をちょっと痛めてしまい、しばらく山行を自粛している。でもどこにも行かないとつまらないからということで、知人の紹介もあり電車に乗って移動してから自転車に乗る「輪行」を始めた。電車に乗せるには大きな自転車は都合が悪いので、折り畳みで重量も7キロほどの軽量のタイプを購入した。小さな自転車だが、それなりにお値段もする。メーカーは今を時めく(?)ルノーである。

ちなみに折り畳み自転車というのは車輪が小さい。普通の自転車が26インチくらいのタイヤがついているのに対して、この自転車には14インチの小さなタイヤがついている。折りたたんだ時にコンパクトにするためには仕方がないのだと思う。そのせいか、初めてその自転車に乗った時には、かなり違和感があった。なんかハンドルが取られるような感じがして、正直乗りにくい。でも、しばらく我慢して乗っていると、長距離のツーリングは無理にしても街中をスイスイと流すには快適な道具になっていった。小田急線沿線に住んでいるので、とりあえず江の島や小田原にでかけてポタリングを楽しんでいる。

実は自宅にはもう一台の自転車がある。ずっと前にイオンで買った安い軽快車で、タイヤのサイズは27インチである。近場への買い物とかにいつも使っていたが、新しい折り畳み自転車を買ってからは、なんとなく使わなくなっていた。そんなある日のこと、急いで予約を入れた近所の病院に行こうと思って何気なくその古い自転車に乗った時、以前は感じなかった感覚に襲われてびっくりした。違和感というよりも、すごく乗りやすい感じがしたのだ。大きい車輪が作り出す慣性力や操作性のしやすさは、小型の折り畳み自転車とは全然違う。わずかな距離だったけど、なんか楽しいサイクリングになった。

ちょっと我慢して折り畳み自転車に乗ってはいたのだけれど、そのことが自分の中に変化を起こしていたとは全く思っていなかった。でも、実際には手や足や感覚を含む体のいろんな部分に間違いなく変化が起こっていたのである。だからこそ、古い自転車に乗った時に以前はなかった感触があったのだ。たぶん、この古い自転車にまた良く乗るようになると、自分の体の中に生まれた変化は薄れていって、折り畳み自転車への適応は失われていこだろう。このプロセスは全く意識のレベルにはないところが特に面白いと思うのだがどうだろうか。

我々は、日ごろ様々な新しい事柄に遭遇する。仕事の上で新しい取引先の人に会うこともあれば、オフの旅行で初めての国を訪れたりすることもあるだろう。そうした新しい事柄に遭遇したことは、新たな知識を自らの中に刻み付けることはあっても、それ以上のことはないと皆思っている。でも、自転車の例を見るとわかるように、何か新しい事柄に接した時、人間の体には実に多彩な変化が起きているのである。進化論的には適応過程と言ってもいいかもしれないが、そのことは基本的には知覚されない。

インターネットで検索すれば、世界のどこであってもすぐに写真や動画が手に入る時代に我々は生きている。あまり旅行をしない人は、わざわざ高い金を払って旅行などしなくてもネットで見ればよいという人もいる。でも、実際には本人の知らない間に体には変化が生まれているとしたら、その考え方も変わってくるかもしれない。旅行先で出会う新しい事物に触れるたびに、人間は五感を総動員して勝手に絶えず変化しているのである。そういう変化は、段々体の中に蓄積され、いつか大きな変化となって知覚されるようになるのかもしれない。スマホで写真を見ていても変化は起こるのかもしれないが、その情報量は実物と比べるとほんのわずかにすぎないに違いない。少なくとも自転車の乗り心地の変化は、スマホでは起きなかった変化である。もしかすると旅行の意味というのは実はそういうことなのかもしれないと気が付いた。

 

 

 






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