雑踏を行く

 
  Vol.214
2019年1月11日
 
     
     

今年の冬休みは曜日の関係で結構長かったので、新年最初の電車通勤は久しぶりという感じがした。とはいっても道順を忘れているわけではないので、いつも通りにスムースに会社にたどり着けた。まだ私のボケは始まっていないらしい(笑)。そんな時に、駅で雑踏の中を真っ直ぐに突き進む人を見つけた。通勤ラッシュ時の新宿駅には基本的にたくさんの人がいる。そんなところで真っ直ぐ突き進むと、すれ違う人にみんなぶつかってしまうのは自明なことだろう。その人は、あたかもどこを歩こうが自分の権利の一部だとでも主張しながら進んでいるように見えた。今年は亥年だから、正月早々そういう猪突猛進のおじさんを見たのは縁起がいいことなのかもしれないなどと不謹慎なことを思って笑ってしまった。

そういうおじさんは、多分人にぶつかるのは自分のせいだとは思っていないのだろう。なんといっても自らは基本的人権の一部である「真直ぐ歩く権利」を行使しているにすぎないのだ。雑踏の中にいても、私を含むほとんどの人は誰にもぶつからずに歩いていることにはきっと気が付いていないし、そのことは彼の行動とは関係がないはずである。自分の傍にいる人たちがボーっと生きていることこそが問題に違いなのであり、彼は誰かにぶつかるたびに舌打ちをして一言、

「ボーっと生きてんじゃねえ!」

と吐き捨てているのかもしれない。

しかし、普通に考えると、そのおじさんが人にぶつかるのは、とりもなおさず自らの行動の結果である。ちょっと気持ちを落ち着けて立ち止まって周りを見回し、一呼吸おいてから歩き出すことができれば、誰にもぶつからずに歩けるようになるはずである。別に難しいことでもなんでもない。落ち着けばいいだけだ。そんな風に考えると、おじさんが人にガンガンとぶつかる様子は、その人の心の中の有り様が投影されていると言えるかもしれない。不満だらけの心の内が、人にぶつかるという事象になって現実化している。そして、本人の目線からは不思議なことに、心を落ち着かせるだけで魔法のようにその問題は解決されるのだ。

この例はちょっと極端かもしれない。でも、こういうことって案外身の回りにもたくさんあるのではないかと思う。つまり、自分の回りで起きている納得のいかないことや厄介なことというのは、それらの事柄を起こしている周囲の人がボーっと生きているからではなく、それを客観的に見ていると思っている自分の気持ちによって引き起こされているのではないかと思うのだ。そして、自らが作り出した幻影とでもいうべき問題の数々は、雑踏のおじさん同様、心を穏やかに落ち着けることでスーッと消えていくような気がしてならない。例えばトランプ大統領の良くわからない政策も、協力会社さんが思ったように仕事をしてくれないことも、部下のレポートが気に入らないことも、全ては自らが作り出した幻想に過ぎない。そうした目の前に立ちはだかるたくさんの幻影を如何に消し去るか、今年はそんな感じで仕事に取り組んでみたいと思っている。皆さん今年もよろしくお願いします。

 






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