うしろめたさの人類学

 
  Vol.210
2018年9月10日
 
     
     

この間読んだ本の題名である。先日紹介した「21世紀の楕円幻想論」とおなじミシマ社というちょっと変わった出版社から発行されている本だ。この前紹介した本とは違う著者であるにもかかわらず、その内容は結構似ていたように思った。出版社のご意向というか主義主張が結構強く反映されているということかもしれない。

この本の著者は人類学を専門にしている大学の先生だ。なんでもエチオピアが専門なのだそうで、大学生のころから何度も現地に足を運んでは、農家に住み込んだりスラム街を歩いたりして研究をしているのだという。エチオピアというのは政権が変わるたびに紛争が起きるような国で、その貧しさは日本の比ではないそうだ。道端にはいつも物乞いをしている老人や子供があふれているという。先生は日本とエチオピアの間を行ったり来たりするたびに、その二つの社会の間のギャップに違和感を覚え、そのギャップを元に人類学という専門の研究の糧にしているという。今では現地の言葉も大体話せるようになって、直接いろんな人にインタビューをしているという。

人類学という学問がどんなものか理系の著者にはあまりよくわからないが、二つの大きく異なる状態の差異を見て、そこに潜む真実を炙り出すという方法論は、サイエンスにも似ているような気がしないでもない。どんな実験でも、データの絶対値というよりも条件を変えたときの差に意味があることが圧倒的に多い。

この本の中心課題は「商品」と「贈り物」である。商品を買ったらその対価としてのお金を払う。そこには貸し借りはない。商売が終わったらそれで終わり、とてもあっさりしている。それに対して贈り物はあとを引く。愛の告白のプレゼントなんて、最もあとを引く贈り物かもしれない(笑)。その気がなければ、もらったチョコレートの御代を支払いたいと思うかもしれないが、贈り物である以上そういうことは許されない。贈り物というのは、人々の間にそういうネバネバした関係を作り出す。

商品と贈り物という対峙する二つが全く独立しているかというと必ずしもそうではない。例えばアメリカから送られてくる援助物資(贈り物)だって、一度エチオピアに入ってしまうと、それが商品となって市場で売られていたりする。「転売禁止」と英語で袋には書かれているが、エチオピアにはそれを読める人はほとんどいない。もともとアメリカの穀物援助だって、純粋な贈り物というよりは国内の穀物価格を支えるための経済的な施策という側面が強いのだという。話は結構複雑なのだ。

商品と贈り物が複雑に絡み合った社会に我々は暮らしているのだが、日本では特に贈り物的な人間関係が希薄になってきているという。確かにインターネットショッピングや中古品の売買では取引をする相手の顔は全く見えないし、会社における人間関係だって以前に比べると何となく希薄になった気がする。

そういう言わば断絶された社会に変革をもたらすために、個人のココロの境界線をちょっとだけずらしてみることを先生は提案する。日々の淡白なビジネスライクな他人との関わり合いを少しだけずらしてみる。そういう行動は「うしろめたさ」が起点となる。災害で被災された方々への寄付のお知らせを見たとき、

「少しくらい寄付してもきっと役には立たない。」

と思って寄付を止めたとしよう。その時感じたうしろめたさをばねにしてちょっとだけ寄付をしてみるなんて言うことでも良いのだという。そういうちょっとしたアクションの積み重ねが社会を変えていくと先生は説く。うしろめたさの人類学、本の題名はそういうことを言っているのだ。

松村圭一郎:うしろめたさの人類学、2017、ミシマ社

 






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