縄文土器について

 
  Vol.209
2018年9月10日
 
     
     

上野の国立博物館で縄文時代に関する展覧会をやっている。その日は、会社のヘルスチェックが終わって時間があったので、ちょっと上野まで行ってみた。縄文時代については、小学校の歴史の時間に習ったきりで、それほど詳しいことを知っているわけではなかった。せいぜい有名な火焔形土器のイメージくらいが頭に残っていたくらいだった。

今回の展覧会の目玉は、なんといってもこの時代の国宝六点が一堂に会して展示されていることだろう。なんでも土器というのは、壊されてから埋められるのが殆どで、壊れていない土器というのは非常にめずらしいのだという。教科書の写真と同じ火焔形土器の実物を初めて見たのにも感動したが、そのほかにもスバラシイ土器がたくさんあって、とても見ごたえのある展示会だった。

説明によると、縄文時代というのは一万年くらい続き、地球の温暖化に伴って日本列島が大陸から分離された頃、比較的温暖な気候のもとで人口も増えて様々な文化が花開いたのだという。稲作は行われなかったけれど、その文化のレベルの高さは世界の四大文明に匹敵するとも言われており、縄文時代を入れた五大文明とするべきという意見もあるという。縄文時代恐るべしである。

そうした温暖な気候を背景に、土器をはじめとする縄文文化は大きく花開いた。確かに国宝の六体の土偶を見ても、その斬新なデザインには本当に目を見張るものがある。三角形の仮面をした土偶を見ると、現代でも十分通用しそうなデザインで思わず息をのんだ。宇宙人ではないかと思わせる重要文化財の遮光器土偶が、現代の多くの芸術家に影響を与えたのもうなずける。

しかし、縄文時代の後期になるとだんだん地球が寒冷化して人口も減ってくるころ、人々は大陸から伝わった稲作を始めて定住するようになった。そのころになると、華やかな土器は影をひそめ、実用的で穏やかな弥生式土器が増えてくる。確かに、展示されている弥生式の土器というのは、すらっとして穏やかな感じのものばかりだった。

高度経済成長に時代には、日本でも人々は活気に満ちていろんなことにチャレンジした。それを文化と呼ぶのが適切かどうかはわからないが、大阪万博の太陽の塔などは、そういう明るい時代の象徴なのかもしれない。(ちなみに作者の岡本太郎は、縄文文化に大きく影響を受けた芸術家のひとりである。)しかし、新しい世紀になって、私たちは長い不景気の時代を経験している。成功を知らない若い世代は、チャレンジよりも友達との楽しい会話を求める。別に海外まで出かけなくてもスマホで写真や動画を見ればそれでいい。そんな今という時代は、もしかすると弥生時代に重なるところがあるのかもしれない。もちろん、縄文時代が上で弥生時代が下ということではないが、不透明な今という時代を生きる時、過去の似たような時代と今を重ねてみるのも無意味ではないような気がする。

縄文時代の土器の中には、小さな子供の手形や足形を取ったものがある。元気な子供の足形というより、病気で亡くなってしまったわが子をしのんで取ったものかもしれない。そうだとしても、そこに残っている足形は間違いなく縄文時代に生きた人の痕跡であり、そのころに生きた人々の息遣いまでが聞こえてくるような気がした。

 






Copyright 2018 TOKYO GAS ENGINEERING SOLUTIONS CORP. all rights reserved.

個人情報のお取り扱いについて