AIは心を持ち得るか?

 
  Vol.203
2017年12月26日
 
     
     

ここ数年、AIという技術を応用した製品やサービスをあちこちで見るようになった。言うまでもなくArtificial Intelligence:人工知能のことである。人工知能という言葉がはやったのは今回が初めてではない。著者が会社に入社して間もなくのころにも第五世代コンピュータとか人工知能とかいう言葉が流行ったことがあった。この時にも人工知能によって次第に人間の仕事がなくなっていくような話もあったように記憶しているが、結局そういうことにはならなかった。

それから何十年もたってコンピュータ技術やインターネットなど飛躍的に技術が進歩した今、小さなスピーカーのような機械に話しかけると、今日の天気でもクリスマスソングでも、ぱっと答えてくれるような製品が廉価で販売されるようになってしまった。受付の仕事や株価の予想にまでAIが使われるようになり、今度こそ本当に人間の仕事がとってかわられるのではないかと思うのも無理のないところかもしれない。

こういう話をしていると、果たして人工知能は「心」を持ち得るかという話題が必ず出てくる。所詮機械でしかない人工知能が「心」を持つことはできないという人もいれば、SF映画にでてくるような人類に戦いを挑む人工知能だって可能だという言う人まで様々である。

そもそも心とはなんだろうか。私たち人間は皆、心を持っている。この点に異議はないだろうけど、具体的に心を定義するとなるとなかなか難しい。さっとインターネットでWikipediaの定義を見てみると。

心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり、文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。

となっているが、あまりわかった気にはならない。心は何かつかみどころがないフニャフニャした存在なのだ。そのフニャフニャした良くわからない心をAIは持ち得るか、なかなか難しい問題ではある。もうちょっと分かり易い定義はないものか。

ある質問をAIに問いかけたとしよう。

「富士山の高さは?」

とかなんでも良い。その時AIからは、

「3776m」

という答えが返ってくるのだろう。それはもちろん正解なのだが、同じ質問に対して同じことばかり返事されると、聞いている方は「機械的だな」と思うのではないだろうか。心を持った人間ならば、例えば

「同じことばかり聞かないでください。」

と返してくるかもしれない。ちょっと極論かもしれないが、そういう返事の「ゆらぎ」の中に心の本質があるのではないかと思うのだがどうだろうか。

じゃあ逆に富士山の質問に対して、ランダムな答えを返したらどうだろう。

「おはようございます。」

これでは心も何もあったものではない、ただのカオスになってしまう。こう考えると、全くの揺らぎのない無機的な世界と、ぐちゃぐちゃなランダムの世界の間に心はあるのだと言えるのかもしれない。そういえばかなり前にソニーから発売されたAIBOという犬型のロボットがあるのだが、その仕様には、ロボットの「機嫌」や「成長」といったキーワードが目につく。同じ刺激に対して、ロボットごとに異なる反応をすることがユーザーにとってはロボットの「心」となって映るのだろう。

ここでさらに一歩踏み込んでみる。それではなぜゆらぎには「心」が宿るのか。これもかなりの極論だけど、人はゆらぎの中に現れるパターンに自らの心を投影するからではないかと思うのだ。かっちりした確定した形には自らの心を投影することはできないだろうし、完全なランダムノイズの中に自分を見出すのも困難だ。ゆらゆらと揺らめくパターンの中に、おぼろげに自分の影を見る。流れる小川の水面の中に、覗き込んだ自分の顔を見つけるように。

AIは「心」を持ち得るか。その答えはその製品を見る人の心のありように左右されるのかもしれない。そういえば新しいAIBOが発売されるらしい。AIを搭載した犬型のロボットは現代人のどんな心を映すのだろうか。






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