カッシーニ探査機の
最後を目撃して

 
  Vol.201
2017年9月20日
 
     
     

日本時間の9月15日午後8時55分、14億キロ離れた土星の軌道から大気圏に突入して、カッシーニ探査機はおよそ20年のミッションを終えた。当初4年だった計画は何度も延長されて45万におよぶ貴重な写真を撮影、地球に送り続けた。

以前から宇宙に興味のあった私は、ちょうどその時間にインターネットを通じてNASAからの実況中継を見ていた。詳しいことは分からないが、画面には2つの電気信号が表示され、台形のような波形の真ん中に二つのピークが表示されていた。間違いなくカッシーニからの信号だ。予定された突入時間が近づいてくると、心なしか管制室は静かになり、皆息をのんでわが子のような探査機の最後を見守った。

そしてちょうど8時55分になったとき、ちょっと信号が少しデコボコしたように見えたかと思うと、すっと画面から消えてしまった。もしからしたらもう一回戻って来るかと理由もなく思ったのだが、当然そんなことは起きず、雑音信号を示す台形だけが無機的に表示された。その瞬間、探査機は土星の大気との摩擦でバラバラになって燃え尽きたのだ。

そのあと、プロジェクト責任者のアナウンスに続いて、そこにいた皆が抱き合う様子が映されていた。まあ、大体、事の顛末はこんなところなのだが、私はそのときちょっと違うことを考えていた。

「カッシーニはいつその天命を全うしたのか?」

そんなことは、言うまでもなく電波が14億キロの距離を伝搬する時間を考慮した「その時」ということになるのだろう。でも、私が最後をみとった瞬間には、さらにNASAから送られたインターネットの映像を自宅のパソコンで眺めていたから、さらに遅れがあるはずだ。もし、土星の衛星の展望台から、カッシーニを眺めていれば、流れ星のように土星に吸い込まれていく様子をほぼリアルタイムで見ることができたかもしれないが、土星から離れれば離れるほど、最後の瞬間は遅れて認識されるようになる。まあ、当たり前のことである。

インターネットが生活の隅々まで入ってきた今、世界中で起こっていることがどこにいても瞬時にわかるようになった。それはもちろん素晴らしいことなのだが、カッシーニの最後でもわかるように、最後の瞬間というのがピンポイントの瞬間ではなく、必然的に広がりを持つようになったとは言えないだろうか。もっと身近な例を挙げてみよう。以前は月曜日の8時にちゃんとテレビの前に行かなければ水戸黄門は見られなかったのだが、今はその必要は全くない。録画しておけばいつでも見られるし、動画配信サービスにもムービーがあるかもしれない。以前は、何曜日に何の番組がやっていたかがちゃんと頭に入っていたのに、そんな情報は今や大した意味を持たない。

そんな風に考えると、今この時という瞬間がどこまでも薄く引き伸ばされているのが、今という時代なのではないかと思うのだ。

「今やらなくても後でやればいい。」

今の重みがどんどん希薄になっていく。それはカメラでも同じだろう。デジタルカメラは、1秒間に何十枚の写真をいとも簡単に記録する。この辺かなあと思ったときに、シャッターをバーッと押して後から最高の一枚を選ぶ。アナログカメラではそうはいかない。ここぞというそのタイミングにシャッターを切る。今という瞬間に重さがあった。自分が未だにフィルムカメラで写真を撮る理由、そんなところにあるのかと、今気が付いた。






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