2017年1月16日
Vol.195
 
     
印象派について

三連休の中日、今一つ天気もパッとしない。そこで上野の美術館で開催中のデトロイト美術館展を見に行った。同じようなことを考えている人がたくさんいたのか、展覧会は多くの人でごったがえしていた。この展覧会は、特定の画家に焦点を当てたものではなく、米国の美術館に所蔵されている著名な作品が展示されている。まあ、それほど美術に詳しいわけではないので、いわゆる有名な作品をちょっとずつみることができ、結構楽しめる内容だった。

美術館の入り口の大きな看板にも描かれてあったゴッホの自画像などは、教科書で見たような有名な絵で、本物の絵は小さい絵ではあったものの、素人目にもいいなあという感じがした。このゴッホの作品も、筆致がしっかりわかるような(場所によっては指で書いてあるらしい)いわゆる印象派というフランスで始まった作風の流れをくむ。ものの境界を示す線を描かず、細かい筆のタッチで絵を仕上げていく。モネやマネ、ルノワールといった巨匠たちが、多くの素晴らしい作品を生み出した。今回の展覧会でも多くの印象派の作品が展示されていた。

印象派の絵というのは、基本的にパステル調の明るい色で描かれていて、フワッとした感じの絵が多い。ある意味わかりやすい絵で、いいなあと思う人も多いと思う。そもそも印象派というのはどういう絵を指すのかというと、対象となる物そのものを描くのではなく、その物から発せられる光に注目する。印象派と言うくらいだから、物を見た人の「印象」という心の有様を描いたと思われがちだが、実はそうではない。そうではなくて、画家の目に飛び込む光で客観的に写し取っていくことこそが印象派の絵なのである。それまでの写実的な絵というのは、モノとはかくあるべきという理解のもとに描かれていたという意味では、写実的ではないと言えるのかもしれない。しかし、印象派の絵が初めて提出されたころには、写実的な画家から「いい加減なスケッチである」と酷評されたという。

印象派の絵を見ていると、いったいリアリティとは何だろうと思わずにはいられなくなる。どう見ても写実的に描かれた以前の絵の方がリアルに見えるにもかかわらず、印象派の絵の方がよりリアルであると考えられなくもない。その後、印象派は様々な変遷を経て、光をそのまま描くという写実的な絵からもっと心の内面をえぐり出すような絵へと変化していったという。ピカソのキュビズムのような被写体とはかけ離れた抽象的な作品もそういう流れの中に位置づけられるらしい。

リアリティとはいったい何だろう。物から発せられる光はリアリティといえるのか。その光が、観察する画家の目の中に飛び込み、それが認識されて初めてそれはリアリティとなる。少なくともそういうプロセスを経ない限り印象派の絵は生まれない。しかし、もし認識というプロセスがリアリティをリアルにするための必須の要件だとしたら、もはや「リアリティ」と「心の内面」という二つの概念には明確な境界はないのかもしれないのではないか。心の内面とは、実際の物質世界でないという意味でイマジナリーといってもいいかもしれない。

美術館で絵を鑑賞する。もちろん、あれこれ難しいことを言わずに素直に絵を楽しめばよい。でも、リアルとイマジナリーという二つの側面に注目して、絵に向かってみるのも楽しいかもしれない。画家がリアルとイマジナリーのどの辺に立って、その作品を作ったのか。同じ作家でも、それは時間と共に揺れ動いたに違いない。そういう感覚を作品を通して共有する。絵画の楽しみ方が少し見えた気がした。

 

 


Copyright 2017 TOKYO GAS ENGINEERING SOLUTIONS CORP. all rights reserved.

個人情報のお取り扱いについて