2014年6月27日
Vol.161
 
     
スポーツ競技のビデオ判定について

世界中がサッカーのワールドカップに沸いている。私はあまりスポーツに詳しくないので、日本代表の名前もおぼつかないが、高い技術をもった選手たちの戦いはすごいものだなとは思う。そういえば、今回のワールドカップからゴールの判定にコンピュータが使われることになったことがニュースになっていた。ゴールラインぎりぎりのところのボールの位置をカメラで撮影して、ボールのすべてがゴールラインを超えているかどうかを判定するという。なんでも以前は、完全にゴールしているにもかかわらず、ノーゴール判定になったこともあったそうで、今回のシステムの導入で、そうした誤審はなくなることだろう。

こういうコンピュータやビデオによる判定の議論が出ると、かならず賛成と反対の両方の見方がでる。素人っぽく考えると、リアルタイムで瞬間的に判定せず、ビデオでも何でも使って判定した方が、きちんと客観的な判断が下せるのだから、どんどんやった方がよいようにも思える。ところが話は、そう簡単ではないようだ。野球の大リーグでも、確か微妙な判定の時は「チャレンジ」という制度を使ってビデオ判定を請求できるのだが、一試合の中で使える回数は限定されている。

なぜビデオ判定が広く使われるようにならないかと言うと、それは審判の信用にかかわる話に関連しているに違いない。つまり、ビデオやコンピュータによる判定を最も信頼のおける客観的な判断という風に決めると、審判による判定というのは、「一応の判定」にしか過ぎなくなる。完全にアウトなどの場合は審判の言うとおりになるけれど、少しでも微妙な判定になってくると、不利な判定をされたチームはすぐに異を唱えてビデオ判定を求めるようになる。まあ、そういうことになるだろう。

こんな風に考えると、物事の客観性と人の信頼感というのは、互いに相補的な関係にあるような気がするがどうだろうか。なぜ医師というのは世間から信頼されるのか。それは、医師の診断や治療という行為の技術的なレベルが高いというよりも、その診断が広い幅を持っていてなかなか教科書通りにいかないことが関係しているように思う。血液サンプルを機械に入れて分析して、きちんと診断結果がでるのであれば、別に医師でなくてもその結果を読み上げることくらいはできる。結果のばらつきが大きい分野では、人の信頼という心の動きが大きく働くのだ。スポーツの審判と同じと言っては叱られるかもしれないが、技術が進み診断の精度が上がれば上がるほど、医師への信頼というのは相対的に下がっていくのではないだろうか。

この世の万事というのは、そういう客観的な事実と人の心の境目が、ちょっと右に行ったり左に行ったりしているだけのような気がしてきた。

 

 


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