2013年12月5日
Vol.155
 
     
博物学の時代

もともとは技術屋(?)だったので、若いころには「専門性を高めて立派な技術者になりたい。」などと思ったものである。しかし、残念ながらメーカーに勤務して技術を徹底的に極めたわけでもなく、何々の分野の第一人者といわれるような専門性は結局身につかなかった。

しかし、いくつものプロジェクトに参加して、いろんな問題にチャレンジしてみると、対応している問題そのものは種々雑多であるものの、その問題の背景にある「構造」というのは、それほど多くのバラエティがある訳ではないことになんとなく気が付いた。それが何かということになると、ちょっと抽象的なイメージなので簡単には言うことができない。しかし、少なくとも、そういう問題の共通性に気づいてからは、チャレンジしてみようと思うテーマの幅が広がったように思う。

以前だったら、それは自分の専門外だからという理由だけで、逃げてしまっていたような問題でも、もしかしたら解けるかもしれないと考えるようになった。いや、下手に専門性がないことが幸いして、つまらぬ思い込みに陥らずに済むことも多いのではないかとさえ思うことも時々ある。

このような考え方が本当に正しいかどうかは、証明のしようがないので何とも良くわからない。しかし、専門性を高めるという話については、現代のように科学技術の進歩が非常に速い時代においては、その投資対効果というのはあまり高くないように思える。いくら最先端の技術を身に着けたとしても、数年後にはその技術が時代遅れになってしまうことはよくあることである。特に最近の技術というのは複雑化の一途をたどっているから、ある分野の専門性を高めるだけで膨大な時間がかかる。にもかかわらず、その知識の寿命は非常に短いというジレンマに陥ってしまう。

そんなことを考えていると、これからの時代は専門性の時代というよりも、むしろ博物学の時代なのではないかとさえ思えてきた。何々の分野と領域を限定するのではなく、実に様々な分野の事物を分類して整理していく博物学。もちろんウィキペディアと比べたら個人が触れることのできる情報の量としては大したことはないかもしれない。でも、それを自ら編集することによって得られる、世の中の物事のありようについてのざっくりとした共通の理解というようなものは、これからの時代において、より重要なのではないかと思うのだ。スマホに流れ込んでくる膨大な量の情報は、実はそうした本質的な理解の様々なバリエーションに過ぎないと言ったら言い過ぎだろうか。ビジネスでも政策でも「選択と集中」と言われて久しいが、どんなもんだろうと思う今日この頃である。

 

 


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