2013年10月4日
Vol.153
 
     
歴史観について
誰でも学生のころから歴史を習ってきたので、歴史に登場する多くの偉人の名前ぐらいは皆知っているだろう。豊臣秀吉、織田信長、徳川家康などなど歴史のスーパースターはたくさんいる。大体歴史が大きく転回する時期に偉人というのは出てくる。明治維新のころにも坂本竜馬や西郷隆盛などのスーパースターが歴史に登場した。こういう人たちは、もちろんその辺の凡人とは違っていたから偉人であるわけで、考え方も行動も常人とはちょっと違うということになっている。

しかし、たとえば豊臣秀吉にしても、晩年は大陸進出を狙って多くの人命を犠牲にしたし、西郷隆盛は西南戦争で逆臣として討たれてしまった。それらの行動については、これまでも様々な分析がなされてきたのだろうけど、彼らが生きた時代から何百年もたった今から歴史を眺めた時、彼ら偉人たちの行動も大きな時代のうねりの中で、半ば必然的に起こったと見えなくもない。ちょうど先日大河ドラマでやっていたのだが、西南戦争で敗れて自刃した西郷隆盛の行為は、明治維新で鬱積した士族の不満の爆発として避けることのできなかったこととして描かれていた。西郷がそのことを理解して戦をしたかどうかは良く分からないが、そういう戦そのものは不可避であったように思える。

そんな風に考えると、どんなにすごい人であっても、大きな歴史の流れの中では、少し極論かもしれないが、その人が自発的にどう思って行動するかということなど何の意味もないような気もしてくる。歴史に名を残すような人でさえそうだとすれば、その下にいた多くの庶民の考えなど、歴史という視点に立てば取るに足らないことに違いない。

ところが、自分が今生きている現在に目を向けてみると、お話は全然違ってくる。会社には上司と部下がいて、部長がいて社長がいて、大成功した社長がいる。その人は、成功したが故に、他の一般の人とは違い、その行動を分析した本が飛ぶように売れる。アップルが成功したのは、カリスマ・ジョブスがいたからであり、彼は他の人とは違っていたからこそ、アップルを再生させたのだ。彼らの成功を見ると、人の行動には無限の可能性があり、その個人の考え方によってその結果は天国にも地獄にもなり得る。アメリカンドリームという言葉は、そういうことを意味するのだろう。

この二つの視点から見る世界の見え方の違いって、いったい何なんだろうと思う。もちろん、研鑽を積み高みを目指して精進することを否定はしない。夢をもっていなくては人は生きてはいけないのも事実かもしれない。でも、実は、我々の人生というのは歴史という大きな織物の中の小さな縦糸と横糸の接点に過ぎず、何をどうあがこうと、大きな歴史のうねりの中で、必然的とも思える道程をとぼとぼと歩むこと以外のものではないのかもしれないと思えてきた。少なくとも数百年たってからその人生を眺めると、ほぼ間違いなくそのように見えるはずなのだから。

この不安だらけの現代を生きるときに、全ての結果が各個人の決断にかかっているとしたら、こんなに気の滅入ることはない。殆どの選択は失敗で、ほんの一握りの選択肢だけが成功をもたらすとすれば、そんな気持ちもわからなくもない。そんな時に、自分が実は大きな歴史の流れの中の一こまを生かされていると思えば、多少は気が楽になるのではないかと思うのだ。

 

 

 

 


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