2013年6月4日
Vol.149
 
     
5月病と月のクレーターの関係

一時盛り上がっていたスケッチ熱もちょっと冷めてきたのだけれど、定点観測の太陽と月のスケッチだけは休みの日に続けている。週末の天気と月齢のチェックは欠かせない。ところで以前にも指摘したことだけど、月のクレーターをスケッチする時には、満月の時は避けた方が良い。いちばん光が当たっている時の方が良く見えそうな気がするかもしれないが、実はそうではない。地球から月までの距離というのはとてつもなく遠いので、月の表面の凸凹を地球からでは遠近感として感じることが出来ないのだ。望遠鏡で見る満月は、ちょっとコントラストの低いパッチワークの模様が広がっているだけだ。ところが、光の当たっている部分と光の当たっていない部分の境界では、ちょっと様子が違ってくる。低い角度で地形に太陽の光が当たるため、山や谷の部分に長い影が出来る。それらの影を見ると、その情報から元の山や谷の形をイメージすることが出来るのである。スケッチするならそういう明暗の境目を描くに限る。

話は変わるが、学校を卒業して初めて社会人になって数カ月が過ぎたという人もたくさんいるだろう。既に社会に出た人でも、慣れない新しい職場に移って数カ月たったという人もたくさんいるに違いない。自分が学校を卒業したのは随分昔の事なので、その頃の事を良く覚えてはいないのだが、毎日きちんと朝早く起きて、満員電車に揺られながら会社に行くだけでも大変なことではある。そして、もちろん入社した時にはいろんな夢もあっただろうけど、現実はなかなか厳しくて、ちょっとへこんだり憂鬱な気分になったりするのがちょうど今頃なのである。いわゆる5月病である。

「大体近頃の若者は苦労をしたことがないから、ちょっとしたことであきらめてしまう」、とか「とにかく気合だ!」と先輩や上司の怒鳴る声が聞こえてきそうではある。まあ、そういうことも多少はあるのかもしれない。

学生の生活という世界から社会人という違う世界の境目にその人がいるという意味において、5月病になりかけて大変な思いをしている人って、月の明暗のスケッチとよく似ていると思いついた。さらに言うと、スケッチと同じように、その境目にいる時しか、物事の本当の姿というのは見えないのではないかとさえ思うのである。学生を長くやっていれば、その生活が当たり前になってしまうし、社会人を長くやっていると、その生活もまた当たり前になってしまう。どちらかの領域から別の領域へ移った短い時間の間だけ、人はその意味を感じることが出来るのではないだろうか?

今はよく時代の転換期であると言う。良く考えてみるとなぜ変化などしなければならないか、今上手く行っているのであれば、そのままにしておけばいいのにと思う。でも、もしかすると、人は変化することによってのみ、自分の周りの事を、もしにかすると自らの事さえも含めて、知りえるのではないかと思えてきた。とまった瞬間から世界は虚ろにしか見えなくなり、ついには何も見えなくなってしまうのかもしれない。

もし5月病かなと思った人がいたら、あなたは今チャンスの真っただ中にいる。変化という位相に身をおいて、世の中をちらっとのぞき見ているのだから。身の回りを良く観察することが大事だ。窓はそれほど長く開かれてはいないのだから。

 

 

 

 


© 2005 TOKYO GAS ENGINEERING SOLUTIONS CORP. all rights reserved.

個人情報のお取り扱いについて   サイトのご利用について