2013年4月4日
Vol.147
 
     
インターネットという鏡

自分はスマホを使わないので、あまり電車の中でインターネットを見たりはしない。それでも家に帰るとタブレットが居間に置いてあるので、そこでインターネットを結構見る。まあ、大体良く見るサイトは決まっているので、同じようなページをパラパラとめくっているといった感じだ。電車の中では、間違いなく半分以上の人たちが、スマホをじっと見たまま微動だにしない。よく電波が混線しないものだと感心してしまう。

話は変わるが、先日双眼鏡を買おうかと思った。まず、インターネットでその双眼鏡に関する情報を集めてみることにした。いろんな事が書いてあるが、概してその製品についての評判は悪くない。(よしよし。)別に、メーカーの回し者が書いたサイトばかりではないだろうから、ある程度は客観的な情報と考えていいだろう。(納得。)結局、その双眼鏡を購入した。それはそれで満足している。でも、その後偶然にあまり知られていないけどすごく評判の良い別の双眼鏡を見つけた。そのことに気がついてから検索をかけると、その双眼鏡の情報がどんどん出てくる。どこにこんなに情報があったのだろと思うほどだ。(アレアレ?)

世の中にはありとあらゆる事を扱ったサイトが溢れている。もちろん、大英博物館のように世界の宝がアップされているサイトもあれば、怪しいボッタクリサイトだってあるに違いない。世の中にいい人や悪い人がいるように、インターネットにもいいサイトもあれば悪いサイトもある。

何が言いたいかというと、インターネットには様々な情報が溢れていると思っているのだが、実際にはその全ての情報が見えるわけではないのであるということだ。当たり前だけど。じゃあ、何が見えていたかというと、私の頭の中に最初の双眼鏡の事しかなかった時には、インターネットを見てもその双眼鏡の情報しか出てこないことに今更だけど気がついたのだ。

インターネットの黎明期には、ネット上の情報量というのは極めて限定的だったに違いない。そんな時には、自分で考えたことがネット上で見つけられないことだってあっただろう。でも、今や世の中のありとあらゆることがネット上にのっている時代である。自分で思ったことは、ほぼ間違いなくネット上で見つけることが出来ると言っていいだろう。

とすると、ちょっと極論かもしれないけど、ネットって自分を映す鏡とは言えないだろうか?検索エンジンという、中で何をやっているのか、素人にはさっぱり分からない仕掛けを通じて、人はネット上に自分の姿を見るのである。まさに鏡に映った自分の顔を覗き込むように。

ここで議論はもっと先へ進む。インターネットが自分を映す鏡だと書いたけど、実は自分を映す鏡は、それだけではないのではないかと気がついた。自分が世界だと思っている目の間のこの現実さえも、実は客観的な事実などではなく、自分を映した鏡ではないかと思うのだ。目の前で怒っている上司は、実は自らの心の中の怒りが投影されているのかもしれないし、好きでたまらない憧れのあの人だって、実は心の中の何かが投影されたとは言えないだろうか。何だか、変な話になってきたけど、自分たちが見ている世界は、客観的な事実と言うよりも、見たいものだけを見ているだけに過ぎないことは、インターネットの話と大して違いはないのだろう。

 

 

 


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