2012年6月28日
Vol.142
 
     
分かることについて

読みたいなあと思う本を本屋で探している時、どんな基準で本を探すだろうか。私は読んだ本にすぐ線を引いてしまうので、図書館の本を借りるわけにもいかない。とはいっても、単行本だと2000円くらいはするから、できれば読んで良かったと思う本を購入したいといつも思っている。打率はどのくらいだろう?50%いけば上出来だけど、多分それほど打率は高くない。なぜか?

まあ、帯に書いてあったキャッチコピーに引っかかって駄作に手をだすこともある。他方、正直中身がイマイチ良く理解できないこともある。もうちょっとわかりやすい本にすれば良かったと反省する。

世の中には理解出来ることと出来ないことの2種類がある。これは読書の時も同じかもしれない。読んで理解出来る本と読んでも分からない本の2種類があるということだ。とすると、読んでも分からない本をいくら読んでも無駄なのかもしれない。逆に理解出来る本は、理解出来るのだからもともと読まなくても良いとも言えないだろうか。

そう考えると、読むべき本はわかるような分からない本というのが一番良いのかもしれない。多分読んでいて、あまり楽しくはないかもしれないけど、分かると分からないのぎりぎりの境目が一番得るものが大きいということになりそうだ。

理解するということは、そういうぎりぎりの境界に関係している。それは読書に限ったことではなさそうだ。分かっていることと分からないことのどちらにも集中しすぎてはいけないのかもしれない。その境目は、わかることとわからないことのどちらにも属さない。でも、その両方がなければ境目は存在しえない。この辺が難しいところだ。

良く見ると、わかることと分からないことの境目は、不連続な変化ではないのだろう。我田引水だけど、きっと美しいモノクロプリントのようななだらかなグラデーションになっているに違いない。どこと線を引くことはできないけど、全体としては美しいコントラストを生み出している。砂浜に打ち寄せる波のようだと言ってもいいかもしれない。理解するというのは、そういう美しさと同じことなんだろう。たぶん。

何が言いたいかって言われそうなので、もうちょっとだけ書くと、研究開発というのもやっぱり、そういう境目のところが大切ということが言いたいのだ。きれいに説明できる研究って、全部分かった本を読むようなもので、気持ちは楽かも知れないけど、ちっとも面白くはない。やっぱりギリギリを狙わないとだめなんだと思う。聞こえてるかなあ。

 

 

 


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