2010年4月22日
Vol.109
 
     
マッハバンドについて

マッハバンドという言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっとマニアックな現象をさす言葉なので知っている人はそれほど多くないかもしれない。これは人間の視覚における錯覚の一種で、なだらかに濃淡のついた画像を見ていると実際には存在しない帯のような領域が見えるというものだ。具体的には右から左へ濃度が滑らかに変化している図において、中央の明から暗に変化する帯のすぐ右側には暗い帯が見え、すぐ左側には明るい帯があるように見える。これがマッハバンドというものである。ちょっと面白いと思うがどうだろうか。確かに明らかに帯が見えるが、これが目の錯覚なのだという。

マッハバンドに関する詳しい説明はこちら

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89

この錯視の生理学的な説明というのもいろいろあるようだが、ここではそこには立ち入らない。どうも人間というのは滑らかな変化というのが苦手のようだという話を考えてみたいと思う。つまり、我々の認識プロセスは、なだらかに変化する濃淡をそのまま認識することができなくて、間に無理やり境界線を作ってしまうという話である。

「なんとなくダラダラと濃度が変わっている。」

では説明にならない。説明ができないと困ってしまうので、人間は無意識のうちに境界線を作ってしまう。でも、こういうことって視覚だけに限った話ではないような気がする。世の中には、社会人もいれば学生もいる。家庭の主婦もいれば年金生活者もいる。皆どれかのカテゴリーに属していることになっている。でも、社会人だって夜間の学校に通っている場合だってあるだろうし、学生であってもアルバイトをしていることも当然あるだろう。人が属するカテゴリーというのも実は案外いい加減というか、はっきりしないことがわかるだろう。でも、そう言ってしまうと

「私は人間だ。」

という以上に区別が付けられなくなるので、大体のところで

「私は社会人です。」

ということにしているわけである。でも、この話は、ただ単に物事が複雑に絡み合っているので、それを近似的に表現するために仮想的な線をひいているということにとどまらない。マッハバンドの例でもわかるように、人間は近似的に対象を表現しようと意識的に領域を分けてはいるわけではないことに注意が必要である。つまり意識とは関係なく勝手にそういう操作をアタマがやってしまうところに問題がある。もしかすると我々が見ている世の中というのは、本当にありのままの世界の有り様を見ているのではなく、アタマの中で勝手に情報が操作されて作り出された仮想現実をあたかもリアルタイムで見ているように感じているだけなのかもしれないのである。

そんな馬鹿なことがある訳がない、と思うかもしれない。しかし、マッハバンドの錯覚のように我々がちゃんとありのままに物を見ていいないことは紛れもない事実なのである。その意味で我々が考える「事実」とか「リアリティ」とかいったものはずいぶん怪しい概念であるといわざるを得ないのかもしれないし、
東京ガス・エンジニアリングと社会の境界線だって、実はひどく曖昧なものかもしれない。

参考文献:福岡伸一、『世界は分けてもわからない』講談社現代新書

 

 

 


Copyright 2018 TOKYO GAS ENGINEERING SOLUTIONS CORP. all rights reserved.

個人情報のお取り扱いについて