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2008年11月26日

Vol.090

     
完全性について
 
       
 

昨今の世の中は何かと透明性が求められる。コンプライアンスという言葉もあちこちで聞く。会社の中は監査に次ぐ監査で、仕事の大部分が監査対応に費やされているといっても過言でない。どこの会社でも状況は似ているのではないだろうか。もちろん、きちんと法律を守って、誰が見てもわかるように透明性を持って事業を進めることに何の異論もないし、そうなればすばらしいことだと思う。

でも、一方では潔癖なまでの完全性を求めることの意味ということについてちょっと疑問を感じる人も少なからずいるように思う。それは単に監査が大変だから、そんなものは手抜きでよいという話ではない。もっと本質的な問題として物事の完全性を考えてみたいと思うのだ。

何が言いたいかと言うと、物事を完璧にするということは、その周りにある他の事柄の完璧性を犠牲にしなければ成り立たないのではないかということである。それは遵法についてだけ言えることではないかもしれない。何かをきちんと順序だてて形作ろうと思ったら、どこか別のところをぐちゃぐちゃにしなければいけないということのように思えるのだ。家の掃除を例に挙げればわかりやすいかもしれない。家の中を片付けるというのは、いらないものをゴミとしてどこかに捨てることなしには成り立たない。どこもかしこも皆きれいというのはありえないことなのだ。雑巾で床をきれいにすれば雑巾は汚れるし、バケツの水もにごってくる。結局はゼロサムのお話に過ぎない。汚れという乱雑さが場所を移動しただけのことだ。秩序をつくるということは無秩序をつくりだすことと必ずセットになっていると言っても良いのかもしれない。

だから、法律なんか守っても仕方がないというつもりはもちろん無い。きちんとルールを守ってビジネスをするのは当たり前のことだ。でも、そのときにちょっとだけ、きちんとすることによって犠牲にしていることもあるということを頭の隅においておきたいなあと思うのだ。それは自分の会社だけの範囲に収まる話ではないかもしれない。付き合いのある会社やもっと広い範囲のどこかで、自分たちがきちんとしたことのツケを払わされているのかもしれないのだ。

物事をきちんとすることって案外罪深いことなのかもしれない。そんな気持ちを持って、その上で皆が社会の仕組みを考えていけばいいのになあと思う。

 

 

 
       
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