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2008年3月3日

Vol.080

     
意識について
 
       
 

 

言うまでもなく我々は意識を持って生活をしている。毎朝会社に行くことも、取引先と打ち合わせをすることも、お昼になって同僚と昼食をとることも皆意識的な活動である。自分でこうしようと思ってやっていることであり、やめようと思えばすぐにでもやめることができる、と思っている。

一方で世界のニュースに目をやると、アフリカで暴動が起きたとか、中東で悲惨なテロが起きたりしているのを目にする。なんだかそういう痛ましい事件も慣れっこになってきてしまっているが、遠い日本から冷静にそういう様子を見ると、なぜあんなにひどいことを人はするんだろうと思ってしまうのは私だけではあるまい。一方で、暴動の中で多くの人々が狂ったように石を投げつけている様子を見る時、果たして彼らは意識的にああいう行動をしているのだろうかと思う時がある。群衆の集団心理は、つきものに憑かれたという表現が一番フィットする。だいたい集団心理とは一体何だろう。意識とは個人に帰属されるはずであるのに、集団に心理があるというのはちょっとおかしな話ではないだろうか。でも、そんなことを言えば、ファッションに流行があるように、人の好き嫌いは完全に独立した個人の意思というよりも、集団心理とでもいうような「何か」に大きく影響を受けたものかもしれない。

もう一回自分の意識を考えてみよう。毎朝会社に行くこと、それは自分の意識で決めたことだという。でも、会社行くことは、何かをするための手段としてやっている行動である。たとえばお金をもらうためとか、社会の役に立ちたいとか。では、そういう思いというのはどこから来たのだろうか。お金をもうけるのは、好きなものを買いたいとか、おいしいものを食べたいとか、いろいろあるだろう。こういう話を繰り返して、自分の意識をさかのぼっていくと、案外すぐにもうこれ以上はさかのぼれませんというところに行きつく。

もうさかのぼれないところ、たとえば

「自分はそれが好きだからその仕事をしている。」

という意識というのは、好きだから好きだというしかない訳で、それ以上たどることができない。何をごちゃごちゃ言っているんだと言われそうだが、私はこれ以上説明のできない意識というのは個人がコントロールできないということを指摘したいのだ。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いなのである。そこにロジカルな理由などないのである。感情に理由は不要だし、他人にその感情を押し付けたり説得したりすることはナンセンスである。

案外、人の意識って大したもんではないなあと思う。少なくとも我々は自分の意識というのをコントロールなどしてはいないのである。我々は感情によってその行動を決定している。では、その感情は誰がコントロールしているのだろう。宗教家は神と言うかもしれないし、科学者は集団心理と呼ぶのかもしれない。

 

 

 
       
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