商売のサイエンス トップへ

 

     

2006年12月20日

Vol.063

     
捨てること
 
       
 

 

今年も残すところあとわずかになってしまった。年末と言えば大掃除である。どこの家でも一年の間にたまったホコリを落とし、新たな気分で新年を迎えたいと思うものだ。などと偉そうなことを書いている割に私は、掃除が苦手である。たまにオフィスの机の上を片付けたりするのだが、すぐにぐちゃぐちゃになってしまう。回りの人たちの机の上がきちんと片付けられているのを見ると、うらやましく思ったりするのだが、どうも自分ではうまくいかない。

なぜうまく片付かないのかを考えると、どうも私は要らないものを捨てる事ができないためということが見えてきた。「もしかしたら、後で使えるかもしれない」という言葉の罠につかまって、「とりあえずとっておこう」という結論に達してしまうのである。こういう人は結構多いのではなかろうか。そりゃどんどん目の前にあるものを捨てていけば、机の上はきれいになるに違いない。でも、何にもなければ仕事もできはしない。そもそもモノを捨てるというのはどういうことだろうと考えるのも無理からぬ話ではなかろうか。

人からモノをもらう。それは自分に何かが入ってくることを意味する。自分にとってはプラスの効果がある。誰でもプラスの効果はうれしいに違いない。そういう事がいつまでも続けは、その人や会社はどんどん成功してお金持ちになっていく、はずである。いつもプラスの展開ばかりなんだから、それでうまく行かないはずかない。

でも、もし入ってきたものを全て溜め込んで捨てなかったらどうなるだろう。最初のころは溜め込んでいると言ってもわずかな蓄えしかないから、何かが新しく入ってきてもうれしいと感じるかもしれない。でも、どんどんいろんなモノが入ってくるうちに、全体に対する新しいものの割合は小さなものになっていく。そして最初の感激は薄れて行ってしまうに違いない。そんな風に考えると、もらったモノに価値を与えるということは、捨てるという行動と裏腹な関係にあると考えられるかもしれない。

モノの価値をできるだけ絞りつくそうと思ったら、どんどん自分からモノを捨てる必要がある。どんどん捨てていくのだから、手に入ったモノはもったいないなどと言って床の間に飾っておく時間などありはしない。その価値を短い時間の中でしっかりと味わってしまうしかないのである。その価値は、時が来ればまだ使えるにもかかわらず捨ててしまわなければいけないという悲しい結末を知っているからこそ、限られた時間の中でモノと真剣に向かい合うことができるのである。

自分に変化をもたらしたい、何か新しい価値を見つけたい、と思ったら、思い切って大掃除をしよう。まだいるかなあと思ったものでも、エイやあと捨ててしまおう。この話は、もちろんモノだけの話ではない。情報だって同じことだ。どうせほうって置いても情報は入ってくる。要は捨てるか捨てないか、そこにかかっている。捨てた時、何かが見えてくるに違いない。情報は集めるものではなく、捨てるものだったのだ。

 

 

 

 

 
       
  ← Vol..062
Vol..064 →  
       


© 2005 TOKYO GAS ENGINEERING SOLUTIONS CORP. all rights reserved.

個人情報のお取り扱いについて   サイトのご利用について