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2006年8月3日

Vol.056

     
一生懸命について
 
       
 

 

一生懸命仕事をする。一生懸命勉強する。何でもかんでも一生懸命やることが大事だと子供のころから教えられてきた。手抜きはいけない。何でもちゃんとやらなくちゃあいけないのだ。

そう、それはそうなんだけど、では一体、一生懸命やるってどういうことなんだろうか。それをきちんと定義することはできるのか。外から見るとちっとも一生懸命やっているようには見えなくても、当の本人はいたってまじめにやっているなんてことは良くあることだろう。逆に、一見一生懸命やっているようにみえても、その実はあまり気持ちが入っていないときというものある。どうも主観的でよくわからない。

ちょっと質問の仕方を変えてみよう。一生懸命はつらいことだろうか。うーん、これはどうだろう。ちょっと意見の分かれるところかもしれない。一心不乱に何かに打ち込んでいる時、それをつらいと人は感じるのか、ちょっと違う気がする。そういう時ってあっという間に時間がたったような感じがするから、あまりつらいとはいえないのかもしれない。こういう時って一生懸命にやっていると言えるのだろうか。

私は、そういうのは一生懸命とは言わないと思う。一生懸命というのは、定義によりつらいものだと思うのだ。一生懸命はいつも我慢とセットでなくてはいけない。そして、更に言えばつらいことあるいは我慢とは、迷うことと同義だと思う。例えば、トレーニングをしているとき、もう走るのをやめるか、それとも走り続けるかで悩みながら走り続けている時、その人は一生懸命にトレーニングをやっていると言えるのである。どうだろう。

この考えを受け入れるとすると、一生懸命仕事をするというのも迷うことということになる。色々な判断をする時、ああするかこうするかを迷う。本当はさっさと方向をきめて一気に突っ走れば効率も上がるのに、いつまでもグズグズと悩んでしまう。でも、そういう優柔不断な状況こそが一生懸命にやるということではないかと思うのだ。話が決まって突っ走るところではない。そこは簡単なところであり、一生懸命やらなくても出来てしまうだろう。

迷うことはつらいことだ。でも、それこそが一番大事なプロセスだと考えることによって、ちょっとでもそのつらさを乗り越える力になるのなら、それは一つの考え方だと思う。最初に書いたとおり、一生懸命というのは極めて主観的な事柄であるから、自分で一生懸命やっているという状態を決めれば、それを否定する事は出来ない。それはそれで一つの考見方である。

今日も私はいろんな事で悩んでいる。このプロジェクトはどうしようか、あの話はどっちにしようか、そんなとっ散らかった状況のど真ん中にいる。思ったように仕事ははかどらない。そう、だから私は今一生懸命にやっているのである。これでいいのである。逆に言えば迷いがなくなったら要注意である。気分は晴れ晴れして仕事がどんどん進む。そう言う時は黄色信号点等だと思わなくてはならない。いくら成果が上がろうがダメである。一生懸命仕事をしていないんだから。

 

 

 
       
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