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2006年4月4日

Vol.042

     
怒る人について
 
       
 

どこの会社に行っても怒る人がたくさんいる。目の前にあるもの・人みんなに怒っている。人の欠点や問題を指摘しては、人とぶつかる。そんなに怒らなくてもと思うのだが、一向にお構いなしだ。怒ることによって他の人との関係は、どんどん悪くなる。どう考えても、本人の意思で怒っているとは思えない。だって、周りから嫌われることがわかっているのに怒るんだから、おかしいではないか。

そういう人って自らを犠牲にして回りに怒っているようにも見える。他の人は、その人から怒られることによって、自らの進む路を見出す事が出来る。怒った人が前に立ちはだかったことによって、それ以上そこを進む事が出来ないことがわかるのである。怒られた人は、そこを避けてまた進んでいけばいい。より良い道を通って前に進む事が出来るのである。いってみれば、怒る人は身を挺して相手に忠告を与えているのである。

ニコニコ笑ってみんなに好かれる人は、その逆である。その人は、みんなに好かれる方法を知っていて、うまく立ち回る。そういう人は、人を自由自在に操ることが出来る。みんながその人と話をしたがる。それはそうである。だってその人はいつも笑って話を聞いてくれるんだから。こんな気持ちのいい人の言うことなら、誰でも聞いてくれるに違いない。そういう人を、普通は「いい人」と呼ぶ。

でも、それって本当だろうか。だって、その人は器用に立ち回って「いい子」を演じているだけなのである。そんな人と付き合ってもなんにもいいことは起こらない。だって、その人は決して怒ることがないのだから、周りの人に進むべき道を指し示すことはないのである。何を言ってもただニコニコ笑っているだけである。そっちへ行ったら何もうまく行かないことを知っていても、ただ笑っているだけで何も忠告してくれない。人がどうなろうとも自らはいい子を演じ続けるのだ。こういうのを利己的と呼ばずになんと呼べばいいのだろう。

じゃあ、どうすればいいんだろうか?みんな悪者になって、周りの人に当り散らすのが良いのか?それも困ったことには違いない。逆に、いつもニコニコしていても、これはこれで埒が明かない。まあ、どっちがどっちという話ではないのだろうが、少なくとも所謂「いい人」が本当にいい人ではないのであり、「怒る人」が本当に悪い人ではないことを覚えていても損はないだろう。そして、人々がいい人になったり悪い人になったりするのは、必ずしも本人の意思ではないことにも注意が必要だろう。人はある局面では怒らざるを得ないときがあるのである。そういうもんだと思えば、少しはみんな生きるのが楽になりはしないだろうか。自分の責任じゃないと思えばいいんだから。

 

 
       
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