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2005年9月16日

Vol.022

     
携帯電話について
 
       
 

十年前には考えられなかったことだが、今や殆どの人が携帯電話を持っている。仕事にしろプライベートにしろ携帯電話抜きでは毎日の生活が考えられないという人も多いのではないかと思う。電車の中で周りを見回すと、座っていても立っていても携帯電話に何かメールを打ち込んでいる人もいれば、ゲームをやっている人もいる。今自分がいる場所の情報から飲み屋のおすすめメニューまで、何でもどこにいても手にはいる。世の中はまさに情報化社会なのだ。

言うまでもなく携帯電話というのは基本的にどこにいても電話をかけることができる。ということは、日本中のあらゆる場所に携帯電話の電波が飛んでいることになる。直接電波を感じることの出来ない我々人間には、それを直接感じる術はないのだが、あの手のひらに収まるテンキーのついた魔法の機械をもってくれば、その空間の中からあらゆる情報を取り出すことが出来るのである。私の目の前のほんの小さな空間の中に、愛を語らう男女の会話も、政治家の国を動かすような会話も、高校生のたあいもない友達同士の会話も全てが、そこにはあるのだ。ものすごい量の情報がそこに凝縮されているのである。

そんなことを考えていたら、目の前にある情報はそれだけではないことに気が付いた。ハワイにあるすばる望遠鏡を使えば、100億年以上前の光を捉えることが出来るという話を聞いたことがあるかもしれない。もちろん、そんな微弱な光を捉えるためには太平洋の真ん中にある高い山の上で直径8メートルの巨大な装置を使わなければいけない。でも、そのわずかな光はハワイだけに注がれている訳ではないことに注意が必要だ。新宿のアスファルトの道路にも間違いなく届いているはずである。つまり、私の目の前のこの小さな空間には過去100億年以上昔からの光が届いているといってもあながちうそではあるまい。

そんな風に考えると、私達の目の前には宇宙の全ての情報があるとはいえないだろうか。機械の助けは必要ではあるが、適切にその機械を使えばどんな情報でもそこから取り出すことができるのである。そう思うとなんだか不思議な気がしないでもない。

でも、携帯電話を使わなければそこにはものすごくたくさんの人々の会話が重なった「雑音」があるに過ぎないことも事実である。そこには何の情報もないように見える。光だって同じだ。いろんな光が交じり合った結果は、私達の目にはただのまぶしい光にしか映らない。そこには何の情報も見当たらない。

見方によっては情報のカタマリに見えることもあれば、そこには何もないとも言える。情報とはもともとそんなものなのだと思う。携帯電話があって始めて「雑音」は意味を持つ。すばる望遠鏡をもって始めて、その光は意味を持つ。物事の意味というのは所詮、その程度のことなのである。
 
       
 
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