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2005年8月22日

Vol.018

     
温度のメッセージ密度
 
       
 

凍てつく−162℃のLNGでも1000℃の炎でも、私たちが暖かいと感じる25℃でも温度は温度である。直線的なメモリの上に温度は整然と刻まれている。温度に身分が高いも低いもない。当たり前である。

でも、私たちが温度をどのように感じるかということになると話が別である。私たち生き物は体のそのほとんどが水からできている。言うまでもなく水は0℃で凍り、100℃で沸騰する。生き物にとって、この100℃の間というのはとても重要な意味を持っている。それ以上でも以下でも、極端な温度というのは生物にとってはとても危険だ。極端に高い温度や逆に極端に低い温度では生物は生きていけないのである。

生きていけないという意味においては、1000℃と2000℃は同じようなものだとはいえないだろうか。人間にとっては1000℃も2000℃も「とても高い温度」以上の意味はないのである。低い温度も同じ、−200℃と−250℃はどちらも「とても低い温度」であるだけでしかない。生きられないという意味においては両者にはほとんど差異がないのだ。

一方、人間にとって体温である36℃の回りはたくさんの意味を持っている。たった0.5℃体温が変化しただけで体の具合が悪くなってしまう。このような温度帯では0.1℃の温度変化に大きな意味があるのである。

このように考えると、温度変化がもたらす情報の密度というのは必ずしも直線的ではないようである。生きることのできる温度の外へ行けばいくほど温度変化によってもたらされるメッセージは小さくなってしまうのだ。温度1℃あたりのメッセージ密度が低いといっても良いかもしれない。

温度の持つメッセージ。それは極言すれば違う温度の間の私達の感じ方である。2つの温度が違うということは実は絶対的な価値ではない。1000℃も2000℃も同じようなものであるように、36℃と37℃だってたいした違いはないのだ。もし、120℃で生きている生命体がいたとしたら、36℃も37℃はただの冷たい温度に過ぎない。

新しい商品やサービス、そうしたものだって同じことが言えるのかもしれない。すばらしい新商品を開発することを皆夢見ている。でも、その商品が本当にすばらしいかどうかは、その商品の絶対的な性質ではないのかもしれない。それは、その製品を買う人が「すばらしい」と思っただけのことなのだ。

すばらしい製品というのは、製品がすばらしいからたくさんの人がそれを買うという方向と、たくさんの人がすばらしいと思うから製品がすばらしいという二つの方向が共存するのである。そのループを感じることがとても大切なことだと思う。

 
       
 
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