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2005年7月21日

Vol.013

     
花壇の秩序について
 
       
 

うちの家の前には小さな土地がある。もともとは芝生が植えてあったのだが、いつのまにか芝生がなくなって雑草だらけになっていた。マンションの共有部分なので本当は勝手にいじってはいけないのだろうが、生垣と建物の間の日あたりの悪い場所で、そのままにしておいても雑草が生えてうっとしいだけなので、こっそり花を植えていた。春先にスーパーや日曜大工の店で一鉢70円くらいの安い花を買ってきては植えた。合計20株くらいにはなっただろうか。

これといって丹精込めたというほどではないが、それでも植える前には元肥をいれ、気がつくと週末に草を抜いた。実は去年もそこには朝顔をそだてたのだが、今年も自然に朝顔の芽が出てきた。まあ、朝顔も綺麗な花が咲くのだからということで、伸びるままにしておいた。

いま、どうなっているかと言うと、植えた花と朝顔の壮絶な陣地争いになってしまっている。どちらかといえば朝顔の方が有利に見える。もうあたり一面朝顔の葉で埋め尽くされんばかりの勢いだ。今、この花壇を見てみると、なんだかみっともない花壇と言う感じになってしまった。別に悪いことは何にもしなかったが、今の状況は今ひとつである。何が悪かったのだろうか。

今考えるに、花壇の出来上がりをイメージして芽を摘まなかったためにこうなったのではないかと思うのだ。全ての花に、朝顔にやさしく水をかけてやったことが結局は、こういう結果を導いてしまったのだと思う。

ちょっと話は変るが、農家の人と言うのは、秋の実りをイメージして、その妨げになる芽や株を摘み取っていく。ちょっとかわいそうに見えるが、育ちの悪い株は容赦なく間引いていく。そのことによって畑には秩序がもたらされ、秋にはイメージどおりの豊かな実りがやってくる。

何かを成し遂げるためには、必ず犠牲にする何かが必要なのだと思う。犠牲なしのやさしさだけでは、多分何もできはしない。YESだけではダメなのだ。NOが必ずいる。いやNOのないところにYESさえも存在しないといえるかもしれない。

何かを成す。何かを思う。それは全てコントラストによって浮き彫りになる。光だけではモノは存在できない。光だらけの月面では地形が良く見えないことと良く似ている。


 
       
 
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