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見る人にしか見えない
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普通、私たちがものを見るとき、それが「そこにあるかないか」ということは、誰がそれを見るかということとは関係ないと考えるだろう。いくら屁理屈をこねたところで真実は一つしかない。あるものはあるし、ないものはない。それだけだ。確かに目の前に転がっている石ころの存在は、それを見る人とはあまり関係がないように思える。でも、我々の住んでいる社会の中では、必ずしもそうではない気がする。今回はそんなお話だ。 たとえばこのサイトの情報をお知らせするメルマガについて考えてみよう。作成する側からは、いろいろな思いがあって、それをいかにタイムリーにお伝えしようかと知恵を絞って内容を考えているつもりだ。それを毎回数百人に配信している。こちらからすれば、時代の変化や業界内の潮流、ホットな展示会情報などを読者と共有できたように思っている。時々、「メルマガ見ましたよ」なんて言われるとうれしくなったりする。でも、たぶんメルマガを受けとっている人の何割か(もしかすると半分以上)の人は、そのメールを開きもせずにゴミ箱に直行させているのである。ネットでチェックなんて聞いたこともないという人も社内でもたくさんいるに違いない。発行者としてはもう少し見て欲しいなあという思いはあるのだけれど、ここではそれを問題にするつもりはない。それよりも情報というものは見る人にしか見えないということを指摘したいのだ。おそらく、このことは単に情報に限ったことではなく、世の中のいろんなことがらすべてに通じることだろうと思う。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」 世の中のものごとは何でも変化する。多くの人が指摘していることだ。何かを変えずにそのままにしておくことは、とても大変なことだということも納得できることだ。一つのプロジェクトを成功させるためにいろんな反対や障害に立ち向かって、初志を貫徹することは誰にでもできることではない。でも、物事が何でも変化するということは、もしかすると宇宙の原理でも何でもないのかもしれないという気もする。つまり、もしかすると私たち人間というのは「変化するものしか知覚できない」だけのことではないかもしれないと思うのだ。実は身の回りにも変化しない事柄というのは、たくさんあるのかもしれないのだけれど、私たちにはそれを知るすべがない、それだけのことだとは言えないだろうか。自動車のモデルチェンジ、スーパーの商品の配置換え、考えてみれば無駄な事のように思えるこうした活動は、実は私たち人間の習性に端を発しているのかもしれない。同じ車を同じように売っていたのでは、次第に人はそれと知覚できなくなるのだとしたら、モデルチェンジは必須の戦略になるのもうなずける。 この一連の観察を「世の中は変化する」という事実とみるか、「人は変化しか見えない」と見るか、それは物事の表と裏を見ているんだろうと思う。見る人にしか見えない。事実というのはそれを見る人とセットで考えるべき事柄なのである。
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